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夭折するのはズルイ

もう、この年齢になると、誕生日だからといって、どうってことはない。ただ静かに、年齢がひとつ加算されるだけだ。十代の頃、夭折した作家に憧憬の念を持っていた。ランボー、ラディゲ、モーツアルト、エリックドルフィー、日本人なら中原中也、宮沢賢治とか。作品の素晴らしさはおいといて、若いままの美しい姿しか残っていないから、それがよけいに美しい人生とだぶらせて勘違いしてしまうのだな。才能がありすぎて、神様にあいされたから、ひとよりも早く天国にめされてしまう。そんな感傷じみた思いが、夭折した作家の人気に拍車をかけているのだ。だが、才能と夭折の間に、相関関係はない。いまは、はっきりとそう思えるようになった。年齢を重ねたからこそ生まれる作品だって、世の中には、たくさんある。感受性のピークは若い頃だから、若い時期の作品に傑作が多いのではあるけれど。とりとめのない文章になってきたが、ようするに、夭折するのはズルイ。もっと長生きして、もったたくさんの人を感動させるような作品を生み出しなさい。それが、才能を授かった人の大きな使命なのだから。

早起きの習慣

早寝、早起き、よい子の習慣。今朝も、朝、3時半に起床して、デスク仕事をやってから、9時半に事務所へ。今週は、3日ほど、この早起きのスタイルをやってみた。けっこう具合がいい。何がよろしいかといいますと、書く仕事がはかどるのである。早朝は、コピーライティングや企画書を書くのに最適な時間帯だ。まず、静かである。電話が鳴らない。朝風呂に入ってすっきりすれば、なおさらアタマが爽快である。スラスラと文章が流れていくのである。
それに比べて、平日の昼間は、打合せやら電話の対応やらで時間が細切れになり、書くことに集中できないのだ。その中でも、いろいろ書かなければならないことがある。夕方、打合せでへろへろになったからだに鞭打って、文章を書こうとしても、いやはやストレスが溜まること、このうえなし。同じような理由で、ご近所のデザイナーさんは、朝2時に起きて、会社に4時出社だそうだ。僕の場合、朝仕事は、さわやかな高原で鳥の鳴き声を聞きながら…である。
それにしても、最近、なんだか、儲かっていないのに、忙しい。仕事は、原則、なんでも請けようという姿勢でやってきたのだが、そろそろ選択と集中。足を引っ張る仕事っていうものが、世の中には、あるのよね。そんなことに、ようやく、気づき始めたこの頃。
じぶんの仕事は、何なのか。いろいろできて、いろいろやっても、それが原因で大切な仕事があとまわしになったら、それこそ本末転倒ではありませぬか。残りの人生をカウントアウトしたほうが早い年齢になってしまったので、もう、そろそろ、本気で考えなければいけませんね。

OHAKA MAIRI

お彼岸です。今年の夏のお盆は忙しく、あわただしく、今は少し落ち着いて、しかもお彼岸だから、お墓参りをしようと思いました。僕は父が42歳の厄年に生まれた子供。父は僕が35歳のとき、母は僕が46歳のとき、亡くなりました。父母が眠っている霊園は、関越自動車道の坂戸鶴ヶ島インターを降りて、そこから約30分ほどの毛呂山にある武蔵野霊園です。昨日は、小雨模様でしたが、お彼岸のお墓参りということで駐車場は満杯でした。

最近は、千の風のヒットの影響で墓石の売上がかんばしくないようです。千の風になってしまったならば、このお墓に、亡くなった人たちはいません。それは合理的な考え方です。それでも、なお、お彼岸となれば、お墓へ出かけて、亡き父や母に話しかけようと思う日本人がたくさんいます。親父だったら、かぁちゃんだったら、こういうとき、どのように考えるだろうか。どのように行動するだろうか。日本人は、お墓やお仏壇の前で、ご先祖様に手を合わせ、対話をするのですね。

お墓でお祈りをしていると、血の連なりを思います。ご先祖様から連綿と流れ、それが自分の中にも流れ、子供や孫にも流れていく、その血の連なりを思います。日本人の宗教観の根底には、この祖先崇拝というものがあって、神道は無論のこと、仏教だってご先祖様をうまく取り込んできた歴史があります。キリスト教ですら、かつてはマリア観音という名前で母の面影を重ねました。

日本人が「バチが当たる」というとき、それは神様の罰か、ご先祖様の罰か。唯一絶対無二のゴッド、大日如来、アマテラスオオミカミよりも、ちょっと前まで生きていた、いい人生の手本となったおじいちゃんのことを思い浮かべ、叱られてしまうという感覚を持って、「バチが当たる」と言うのではないでしょうか。

現代は、「バチが当たる」という言葉も聞かなくなりました。自分も言わないし、人からも聞かない。年寄りのいる家庭では、聞くことがあるのかな。僕の親は大正生まれですから、ぎりぎりでこの言葉を聞かされました。いまは年寄りといっしょに暮らす家庭が少なくなりましたからね。振り返れば、戦後の都市部への人口流入は、親と子供だけの世帯「核家族」をつくりました。これはもう当たり前になって、もはや「核家族」という言葉も、死語になってしまいましたね。

社会から、非近代的な呪文がなくなって、衛生的に合理的に管理されるようになって、でも人間という存在は、そんなに合理的なもんじゃなくって、一見すると「バチ」がないように見えるけど、実はとんでもなく大きな「バチ」が巡ってきているように思います。お墓参りをして、そんなことをつらつらと考えてみるのでありました。

それにしても、半世紀と言われれば…

50年と言えば、半世紀。

あと50年経てば一世紀、当たり前だけど…

むかしは人生50年と言ったそうだ。

世襲であれば、二代がかりでつくる歴史。

人間で50歳というのも、節目になる年齢だ。

その節目に、とっても悲しいことと、とっても嬉しいことがあり、

その振幅の幅が大きすぎて、なんだか、船酔いをしてしまったよ。

それから一年が過ぎて、また、いろいろな出来事があって、

生きていくのはそれだけで大変なことなんだなと思う今日この頃。

いろいろやってきたけど、何もやっていないような気もする。

50代は、人生の秋、収穫の季節でもあるだろう。

そこで一句、詠みましょう。

「おいおまえ なにをせんとや うまれけむ」

自分に活を入れなぁ、あかんな。

祭りのあと 思うことあり

先週の土曜日、僕の暮らす飯綱高原で2008オトナリ・グリーンセッションというイベントが開催され、1000人の来場者を集めて無事に幕を閉じました。音楽とアートと飲食と、それらを結ぶキーワードはエコロジーでした。ライブのゲストは、白井貴子さん、HARCOさん、Leyonaさん、オギタカさん。竹でつくったテントを、湖上ステージを囲むように林の中に20張り並べました。このテントでは、オーガニックな飲食やクラフト、エコロジカルなアート作品や活動紹介が展開されました。

終わって2日目、ほんとに、ホッとしました。燃え尽きました。思えば、昨年の企画段階から携わり、ゼロの状態から、モヤモヤしたものをカタチにしていき、テーマを決めて、人と関わり、交渉し、あるときは妥協し、あるときは強行して、開催直前の2週間は、通常の仕事が進まず、お客様にご迷惑をおかけすることも多々あり…まぁ、正直なところ、ボランティアなんだから、通常の仕事を圧迫してはダメなんですけど、イベントの主催者・企画者であり、運営リーダーでもあるわけで、これだけの大規模な祭りは、やりはじめると、どうしたって中途半端ではすみませんでした。

約半年間、イベント実現のために動いて、あらためて思ったことは、人間って、いろいろ、「わがまま」を言う生き物なんだなぁ、ということ。まぁ、こちらも、わがままを言ってお願いをするわけです。おたがいさまですが、それにどうリアクションしてくれるか。押したり、引いたりしながら、両方にとって、ベストな選択を探す。それが理想だけど、バランスは、きちんと定規で描いたように正確な平行にはなりません。どちらかの負担が大きくなったり、どちらかが得をしたり、損をしたり、ゆれ、ぶれがあって、理想通りには行きません。

しかも、いろいろな課題難題をクリアしながら進んできて、ようやく、開催当日を迎えても、その寸前にまたまたアクシデントが起こります。イベント運営に関してはそれぞれ担当を決めて分担しているのですが、仕込みの段階からすべてに関わっているのは僕だけなので、小さな事柄でも連絡が集中してくるのです。小さなわがままが、あっちこっちで勃発します。けれど、ここまで来ると、出来ること、出来ないことが明確になっているから、まだ、いい。白と黒がはっきり言えます。

この白と黒の判断が、開催までまだ日程的な余裕がある場合は、なんともファジーになり、出来るかもしれないことは出来るように動きたいと、僕は思ってしまったのですね。その動きの部分で人へのお願いが何倍にも増えていきます。借りをたくさんつくることになります。気持ちよく、ふたつ返事で要望を聞き入れてくれる人、二の足を踏む人、最初から話しにならない人、ともかく、他人のわがままを実現するために、お願いのしまくりです。ようやく目処がついて、わがままの発信源に結果を返すと、そこでも、いろいろなリアクションがあります。感謝してくれる人、当たり前の顔をする人、さらに次の要求を口にする人、実に千差万別の反応がありました。

気持ちの貸し借りをきちんと出来る人。相手の労力に対してイマジネーションできる人。そういう人は、ふつうに素直にお礼の言葉を口にできる。またお詫びの言葉も口にできるんですね。そういうコミュニケーションがとれたときは、ほんとうに嬉しいものです。疲れなんて、吹き飛びます。

僕は広告屋さんだから、イベントの広報物はつくっても、イベントの主催者としての立場はよく考えたら、結婚式以来、初めてでした。主催者として関わると、人間模様がよく見えてきます。今回のイベントは、実は、とってもいい人生勉強になりました。こういう世界をたっぷり経験している人は、人間関係の達人になれるのではないか。自分自身の未熟さを思い知るとともに、これからの課題が少しわかってきたように感じました。