11.沈黙の森  1999

人は、だれでも心の中に闇を抱えている。
四十歳の友人の死は、あらためて私にその事実をつきつけてきた。
彼の死は事故と伝えられた。だが、私には、形容しがたい、石ころのような、わだかまりが あった。
ほんとうは、自殺ではなかったか。
「そんなバカなこと、オレはしないよ」とあの世から一笑にふされるだろうか。
それは、わからない。
ふとすると忍び寄る精神のゆらぎ、曖昧な領域で揺れ動く振り子を、私も彼も、持っていた。彼の揺れは、私より大きかったが、それは、根元では微小な差であったと思う。
「同じ匂いがする。君はぼくと同類だな」
初めて会ったとき、彼はそう言った。私は一歳年上、職業は同じコピーライターだった。だが、他人とつきあう態度において、彼は能動的にやや傲慢に接する「陽」であり、私は受動的にややシニカルに接する「陰」であり、性格を見れば、彼と私とは、まさに対照的で、誰も同類とは思わなかっただろう。
私は、彼の「影」であった。
しかし、嗅覚は、私にも働いた。魂の部分で共有できる何か。気が合うという言葉だけでは捉えきれない何か。・・・・・・カインの末裔のしるし。
それから、いくつかの仕事をいっしょに手がけた。あるときは、ぶつかり、あるときは、ゆずり、いつの間にか、仕事以外の話もできる間柄になっていた。
親友と呼ぶには遠慮があり、知人と呼ぶには親しすぎる、そのような間柄に。
対人関係において、彼は好き嫌いが激しく、敵も多くつくってきた。共通の知人に対する聞くに耐えない悪口を、私は何度も聞かされた。よく言えば、完全主義。わるく言えば、わがまま。苦笑する私に対しても、彼は苛立ちを覚えたことだろう。
そして、それら有形無形の苛立ちは彼を周囲から孤立させるとともに、彼自身をもさらに深い孤独へと押しやっていた。躁状態の過激な言動が身を潜めると同時に、寡黙な鬱状態がやってくる。
鬱状態の彼に会うと、とても素直な人柄に触れることができた。ふだんは虚勢を張っているだけにその落差が激しい。彼は少し照れ臭そうに、心の葛藤や悩みの一端を話してくれた。
私たちは、欠陥だらけのじぶんの魂を修復しようという志において一致していた。
私は、学生時代に形而上的な問題に懊悩していた時期があり、じぶんの魂と格闘しながら、哲学、心理学、宗教書を渉猟した。語りうるものと、語りえないもの。意識のトワイライトゾーンへのまなざし。そして沈黙の森の向こうから立ち上がってくる革命を、当時、夢想した。
やがて社会人となり所帯を持ってから、形而上的なテーマについて思いを巡らすことは少なくなった。形而下的な多忙に気を紛らわし、魂との戦いは休戦状態であった。
私のようなズルさを持たない彼は、人が生きることの意味や、魂の安息する場所を真摯に、ずっと探し求めていた。
「ぼくは、グルが欲しいんだ」
ある日、打ち合わせの帰りの車中で、彼がそう言った。新興宗教に関する本をたくさん読み、それらの思想に対してシンパシーを感じつつも、そこに解決がないことも認識し、彼は苦しんでいた。どのような書物も、役に立たないことを感じていた。
私は、私の拙い経験と思いを語ったが、彼の心に、どれだけ、それらの言葉は届いたであろうか。形而上的な命題に安易な決着をつける「大人の方便」に聞こえたであろうか。
彼は、私の「影」であった。


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闇の時代、出口がまったく見えない時代に、ぼくときみは生きている。その闇を切り裂く言葉を、きみもぼくも探している。言葉の力。ひろがり、むすび、たばねて、ナイフのように鋭い言葉を、時代の喉元につきつけて。
だが、言葉だけでは、言葉を越えることができない。ロックもレゲエも宗教も魂を解放してくれない。それほど、いま闇は深い。
糸口の見つからないまま、ぼくときみは宙を仰ぎ、それから、ぼくらは沈黙の森に分け入った。途中できみは、ぼくと違う道を選び、いつしか、ふたりは、はぐれてしまった。
いま、きみは、どこにいるのだろう。おたがいに探し合いながら、ふたりとも迷子になっている。
でも、ぼくはまだ諦めない。この森をもう少し辛抱強く、探ってみようと思う。
きみと再会して、そのときは、高原に寝そべって大好きなバイクの話でも、できれば、いい。ふたりで見上げる空に、鳥が飛んでいれば、もう最高だ。
ぼくはきみが死んだことを、まだ認めていない。きみは、ただの迷子なんだ。

迷子の人間にサヨウナラは言えない。



初出3/4(スリークオーター)創刊号
1999/09/01

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