二日前、僕の自宅のまわりは大雪でした。積雪量は一晩で50センチは超えていました。朝、水気を含んで重たい雪を、プラスチックの赤い雪はねでエッチラオッチラとかきだして、ようやく自動車の運転席まで辿り着けるようになります。ここは雪国ですから、3月になってからも、こんなことはけっこう今までにもありました。そのたびに、嫌だなぁ、もう雪かきはしたくないよ、と思うのであります。暖かい土地の人は、雪かきなんか知らずに一生を終えるんだろうな。それは幸せなことでもあるし、雪のある生活の良さを知らないから不幸なことでもあるし、なんとも、それが人生っていうものだから、それぞれの生き方を生きるしかないわけで…と、まぁ、わかったようなわからないような感慨を持つ季節でもあります。
春といえば、サクラ。春は、サクラを歌った名曲が多いですね。日本では年度末ということもあり、別れと出会いの季節でもあり、そこにいろんな感傷やドラマが生まれてくるのでありましょう。僕にとっても、春はサクラ。親父の葬式のとき、見事に満開だったサクラを思い出します。親父の命日である4月2日は、でも、こちら信州では、まったくサクラの気配がありません。
春の気配は、お日様の陽射しの中に、少し感じるようになっているのですが、まだまだ寒くて、家の暖房もフルに稼働しています。早く、春が来ないかな。信州のサクラは、4月下旬か5月の連休あたり。長く伸びていく陽射しの歩幅に合わせて、心待ちにいたしましょう。
あるブログで、いままで高ピーな態度でお客様に接していた高級ブランドショップの店員が、手のひらを返したように愛想よく、ご機嫌伺いの笑顔で接するようになってしまったら「嫌だな」という趣旨の記事を書いていた。店員がそのようになることを「ツンデレ」と表現しており、その言葉は僕にとって斬新な表現で意味がまったくわからなかった。身近に若い人がいれば、すぐに聞けるのだが、そうもいかず、こういうときはグーグル先生に聞こうということで、さっそく検索してみた。便利な世の中になったものだ(笑)。 続きを読む……> 「ツンデレ」という言葉を知っていますか?
ひさしぶりに広告の話題など。このニュースは、雑誌広告費の衰退に続き、予測されてはいたものの、あらためて感慨深いものがあります。
>ネット広告費が新聞を抜く–電通「2009年日本の広告費」を発表
続きを読む……> おもしろい新聞広告はもう過去の話なのか?
たまたま見ていたNHKのBS放送で、佐渡山豊が歌っていた。沖縄の方言でひとりごとという意味のタイトルがついている。半分くらいは沖縄の言葉で字幕を見なければまったく意味が通じない。何の気なしに見ていたのに、それでも彼の歌いっぷりと歌詞の世界にどんどんのめり込んで行ってしまった。圧倒的なソウルを感じた。佐渡山豊、名前だけは知っていたけど、しっかりと歌を聞くのはおそらく初めてだ。なんで70年代のときに興味がなかったのだろう。まぁ縁がなかったということか。いま聞いても、このメッセージは古びていない。いや、むしろ、いまの時代に歌手として、もっともっと存在感が際立つのではないか。たかが歌なのに、ぐいぐい魂をゆさぶられる。歌い方は、淡々として熱い。この熱さ加減がたまらない。1950年生まれというから、今年60歳。この人がどうやって生きてきたのか興味がわいた。でも、インターネット上では、それほど多くの情報がない。一時期、歌手活動を休止していて、10年くらい前から活動を再開したというのもおもしろい。どんな人なのか。もし、近くでライブがあれば、ぜひ、観にいきたいと思った。
佐渡山豊「ドゥーチュイムニー」YouTube動画
すでに宮崎哲弥氏がそういう題名の本を書いていた。僕はそれを知らず、本自体も読んでいない。ダジャレとしては、まぁまぁのところ。
「正義」とは、いったい何か。僕は思想家や評論家じゃないので、大それた論文を書くつもりはサラサラないけれど、ときおり、このような問いが頭の中に沸き起こる。それは小学生の頃から、僕の小さな前頭葉にムシのようにとりついてきた。
正義のいちばんの問題点は、自分の確信した正義こそが、いちばん正しいと絶対化してしまうところだろう。そして、それを他者にまで波及させようとしてしまうところだろう。小学生時代、ウルトラマンごっこが流行った。君がウルトラマンで僕はバルタン星人だ。えいっ、やっ、とぅ、と子供同士で戦いを繰り広げる。そのとき、なぜか、バルタン星人から見れば、ウルトラマンは悪者ではないかと思ってしまったのだ。無邪気じゃない、変な奴だね、まったく。ガメラは、怪獣でありながら子供の味方であり、ウルトラQでは、けっこう文明批判的なストーリーもあったように記憶している。おそらく、当時のテレビ番組や映画の制作者たちには、常日頃から、「正義」とは何かという問いかけがあって、映像を制作していたのではないか。勝手な憶測だけれど、社会との関わり方について、60年安保、70年安保、浅間山荘、連合赤軍事件とつづく、時代の意識が子供たち向けの番組に反映されていたとしても不思議ではない。ただそれは暗号のように映像内に隠されており、子供たちに発見され、読み取られるのを待っていたとしたら…。
太平洋戦争、学生運動…社会の正義なんて、時代や環境によってころころ変わってしまう。それを前提として、そこから懐疑的な生き方が生まれ、ある人は、変化する方向へ回転しながら、ある人は、社会とのつながりを失いながら、それでも、それぞれの暮らしはあるわけで…。どうも、社会正義の喪失によって、個への執着が強まって、個こそ正義であるというようなところまで行ってるような気がする。ううむ、難しいところだね。結論なんて出そうにない「問い」だけど、考えることに意味がある(笑)。学生のような青い気分で、また、今度、会ったときに話そうか。