ずいぶん昔の気になる音楽「東京は夜の7時」

僕が子供の頃、親が懐かしそうに観ていた懐メロの歌番組はほとんどが演歌だった。いま僕たちの懐メロは、フォークソングとかGSとかになっていて、その特集番組を夫婦で観ていると、やはり子供たちは嫌な顔をする。それは、そうだ。現代のJポップとは、リズムのビート感が違う。メロディーに日本語を乗せる、その乗せ方が違う。

それよりも何よりも、歌には、その時代の空気をよみがえらせる圧倒的なチカラがあって、だから、いつの時代も、だれでも、感受性豊かな若い時に聞いた歌がいちばん心に残っている。青春を生きた時代が違えば、音楽の好みが違ってあたりまえだ。

僕には、歌謡曲の空白期間があって、1985年くらいから10年間くらい。なんだろう、バブル時代と並行するその時代の音楽は、聞き覚えはあるものの、印象が薄くって、あれ、そんな歌、流行ったかな、という感じなのだ。でも、そのなかで、ちょっと印象に残っているのが、この歌。1993年の発表だから、僕らが田舎暮らしを始めて3年目くらい。仕事で、東京へもちょくちょく出かけていて、その際に耳に入ってきたように記憶している。バブルの残り香を感じる「東京は夜の7時」…ボーカルの声が好きだった。どんな女性が歌っているのか、今回、YouTubeで初めて、まじまじと観た。ね、遅れてるでしょ。いまも、このオシャレな野宮真貴さんは、現役で歌っているようだ。あらためて聴いてみても、なんだか、あまり古さを感じないのは、なぜだろう。それとも、この感覚、僕だけのものかな? ちょっと、聴いてみてください。

コピーライターはいま何処に?

例年なら、お盆を過ぎたあたりから、やや涼しくなるのがここ信州の風土です。でも今年だけは、もう明日から9月だというのに、連日35度前後という暑さ。なんたること残暑、と赤塚不二夫イヤミ風のオヤジギャグを言いながら、過ごしていたら、群馬の前橋にいる友人から電話がかかってきて、先週末、うちの事務所を訪ねてきました。東京にいた頃、同じ広告制作会社で働いていたK氏です。僕より5歳ほど上の先輩です。

20年以上前のK氏は、敏腕AE、いわゆる営業として、昼は、広告代理店や印刷会社、そして直クライアントをかけずり回り、夜は、接待と称して六本木や赤坂のクラブに出没、休日はゴルフ三昧…まさしく、寝る間を惜しんで仕事に没頭していました。

僕はK氏と組んで、営団地下鉄のマナーポスターをはじめ、芸能人を使ったキャンペーン広告など、いくつかの楽しい仕事を手がけました。バブルの絶頂で、こなしきれないほど仕事がたくさんありました。

彼との仕事の進め方はこんな感じです。クライアントからの依頼案件を、彼が会社に持ち帰り、僕と30分くらい、軽く話し合う。で、だいたいの方向性が決まります。それから、今度は僕がうんうん唸ってアイデアをいくつか出して、再度ミーティング。コンセプトとコピーはもちろん、デザインの方向性もここでふたりで決めます。それから若手のデザイナーに「よろしく」と仕事を依頼する。そう、デザイナーには申し訳なかったのですが、プラン主導型の進め方でした。スピードとテンポが要求され、次々に仕事をさばいていく感じでした。

どちらも30代でとても情熱的でした。おたがいの才能に敬意を表していました。時代はバブルの絶頂ということもあり、いい仕事をすれば、相応のギャラもついてきて…。しかし、僕らの表現だけはバブルに踊らされてはいませんでした。

どちらかというと人間の心理やロマンを見つめ、そこから発想した広告づくりが好きだったのです。それが許されたのも、バブルの所以かも知れませんが…

いまはもう、ふたりとも白髪まじりの50代。K氏は東京を離れ、群馬で15年ほど頑張ってきました。僕は長野で20年ほど、同じ業界で、やっています。久しぶりに会って、長野の繁華街で、深夜までお酒を酌み交わし、その中で、地方都市の広告業界の話題となりました。K氏は日本酒を飲みながら、こうぼやきました。

「ライターはたくさんいるんだけど、コピーライターがいないんだよね」

お店を取材して、雑誌の原稿を書くのがライター。お店を取材して、どのように広告すれば売上が伸びるか。お店の好感度をアップさせて、買う気をそそるには? そういうビジネス目線で広告づくりを考えて、カタチにするのがコピーライターの仕事です。

地方都市では、広告の需要はあっても、コピーライターを必要とするほどの広告づくりは少ない。20年以上前に、長野のデザイン会社で、僕はデザイン主導の広告づくりを目の当たりにしてカルチャーショックを覚えました。文字のスペースだけ空けてデザインされたラフスケッチを見せられて、「ここに文章を埋めてよ」と言われたのです。地方都市では、専業コピーライターは不在で、営業もしくはデザイナーが文章を考えるのが当たり前でした。

いまでは、多少は改善されましたが、それでも、まぁ、広告費に充てる予算が削減され、より安くを求められる中で、企画費とかコピーライティング費とか、ぜんぶまとめてデザイン一式というのがローカルの風潮。そもそもコピーライターになろう、という人が減ってしまうのもいたしかたないかも知れない。

広告の文章、コピーそのものは、どんな場合でも必要です。そしてメールマガジンやWEBを含めて、広告的な文章を必要とされるフィールドがどんどん広がっています。マーケッターとか、ブロガーなんかも、コピーライター的な職域を浸食しながら、その職種を確立しつつあります。

これからはコミュニティマネージャーという職種も、コピーのスキルを生かした仕事として注目されそう。これは、Facebook、Twitter、BBS、企業内ネットなど含めたオンラインコミュニティでコメントなどを確認し、参加し、他の人たちと関係を作るのが仕事だそうです。

これからの時代、コピーライティングのスキルは、ますます重要になってくるはず。それだけは間違いありません。「コピーライター」という名前は、その賞味期限が切れたとしても、名前を変えて、そのスキルの重要性に対して、認知度が高まることを、僕としては大いに期待しましょう。

中国のクチコミは、どこまで成熟しているのか?

最近は、中国人の訪日観光マーケットの話題がとても多くなってきました。消費を控え始めた日本人より、財布の紐が緩い中国人を狙え、というわけです。そんな中で、インターネットマーケットの拡大も急成長してきており、検閲制度のある中国ですから、どこまで情報の透明性が確保できるか未知数の部分もありますが、いずれにしろ、インターネットが発展してきた道筋をそのまま中国も急ピッチで追いかけてきています。そんな中で、このようなサービスが開始されました。

>中国人観光客の訪日体験記事とタイアップした口コミサービスの提供開始

中国のクチコミサイトがいま、スゴイことになってるという話は聞いていますが、その反面、中国政府の検閲もすごい体制でやってるらしいです。YouTubeが中国では閲覧できないのはご存じの方も多いでしょうが、それ以外にも多くのサイトが中国本土からは閲覧できません。また、国際世論と袂をわかつ、ちょっと神経質な話題になると、とたんに検閲が入り、見えなくなるそうです。たとえば、チ、チ、チベッ○とか、ね。

ま、いずれにしろ、クチコミサイトの情報そのものも、発信する前に、検閲が入らないように検閲しなければならないのでしょうね。それで、ほんとに正直なクチコミなの?という疑問もありますが…。日本でもそうですが、クチコミの信頼性が問われるようになるでしょう。

原則として、中国人を対象とするビジネスには、それなりの覚悟が必要です。お金を落とすから中国人歓迎という短絡的な発想ではなく、サービスの基本から考えて、ビジネスを再構築しなければならないでしょう。いずれバブルが弾けますから、そのとき右往左往しないで済むように、しっかり見極めて行かなくてはなりません。とはいえ、変化のスピードがあまりにも速くて、慎重になりすぎると、チャンスを逃したりして…難しいところですね。

僕たちは、あの時代に歸國できない

昨夜、TBS(長野ではSBC)で戦争に関連するドラマを観ました。以前から番組宣伝が多く流されていて、歌手の長渕やビートたけしが出演、倉本聰が脚本、とくれば、これは失敗はないでしょう。東京駅に英霊たちが降り立つというSF的な設定も、おもしろそうです。こ是非とも観なくては、と思っていました。

終戦ドラマスペシャル『歸國(きこく)』

TBSでは、2010年8月14日(土)よる9時より、終戦ドラマスペシャル『歸國(きこく)』を、2時間半に渡り放送いたします。脚本は倉本聰、出演は ビートたけし、長渕剛ほか、小栗旬、向井理、塚本高史、温水洋一、遠藤雄弥、生瀬勝久、ARATA、堀北真希、八千草薫、石坂浩二ら超豪華キャスト陣でお 届けいたします。

さて。2時間半の感想ですが、残念ながら、何か、胸がもやもやして、大きな感動もなく、期待を裏切られて終わりました。予想通りの展開というと生意気な言い方ですが、いま、なぜ、このドラマがつくられたのか、誰に向けてメッセージしたいのか、いくつかのエピソードが展開されるのですが、そのどれもが中途半端な気がしました。少なくとも、僕の心には、ピンときませんでした。あくまでも個人的な感想ですが…。

あの戦争を実体験として語れる人が少なくなった今、戦争の悲惨さを伝えていくことはとっても重要だと思います。東京大空襲の悲惨さなども、ヒロシマ、ナガサキと同じく、もっと伝えていく必要があるでしょう。それは、ドキュメンタリーとしてのテレビ番組であったり、写真であったり、語り部であったり、リアルな取材を通した表現で、僕たちは戦争を追体験しています。あぁ、そうなんだ、可哀想に、とアタマで理解しています。ただ、ここには記録の限界があるような気がします。もし、近親者から、生の戦争体験を聴けば、それは、より感覚的な記憶としての体験になります。

僕の親父は、満州でロシア兵につかまり捕虜になり、戦後、数年後に帰国しました。おふくろは乳飲み子を抱えて、疎開していました。今年、十七回忌だったのですが、その親父は生前、戦争のことをあまり、語りたがりませんでした。ただ、捕虜になった当時、生きるために、ネズミも食った、と、だから、食べものを雑にあつかうな、あるだけ、ありがたい、贅沢を言うな、と僕は何度も説教されました。戦争のことを懐かしく語る人に対して、親父は、ああいうのは嫌いだと敬遠していたふしもありました。

ともあれ、僕は、大正生まれの男と女を両親に持ち、そういう意味では、やや感覚的に戦争の匂いを知っています。それは、家族を引き裂き、人間性を失わせるものとして、弱いイメージではあるけれど、記憶として意識してきました。

話が脱線しすぎ。ごめんなさい。今回のテレビドラマについての感想でした。戦後65年が経過して、日本がこれから、あの戦争とどう向き合っていくかは、日本人のとても大きな課題であろうと思います。そして、その失われつつある戦争イメージを、未体験の僕らに「記録」ではなく、共感とともに「記憶」として伝えていくこと。それがドラマの役割ではないのか、と思うのです。

戦争の遠い記憶は、やがて記録となり、それは言葉の羅列になっていくかも知れません。風化とはそういうことです。現代人は、当時の人間と同じ心持ちにはなれません。だからこそ、ドラマや映画がその感情を現代によみがえらせ、新たな体験の記憶として、戦争の風化を防ぎ止めることができるのだろうと思います。

これは、でも難しい仕事です。倉本聰さんだから、その難しい課題に挑戦できたとも言えます。僕らは、たとえば、現代の中学生に戦争の悲惨さを伝える言葉を持っているのでしょうか。便利さが幸せと思っている人に、それは違うんだよと、はっきり説得性を持って伝えられのでしょうか。
いずれにしろ、いろいろ、考えさせられることが多いドラマだったことは確かです。

夏の夜、戸隠に踊りの精霊が舞い降りる

もうかれこれ6年目になるでしょうか? 神殿舞踏「水の呪術」というタイトルで、戸隠神社火之御子社の奉納舞踏が8月18日(水)夜7時から開催されます。踊り手のタカハシさんは、この道では非常に著名な故大野一雄氏や笠井 叡氏に師事しました。どんな踊り?と聞かれると、ジャンルわけは便宜的なものですが、暗黒舞踏というとイメージしやすいかもしれません。でも、タカハシさんの場合、踊りが本業ではなく、整体師として30年近く、吉祥寺で活動してきました。トランスパーソナル心理学をベースにしたサイコセラピーを学び、数多くのワークショップを手がけ、1984年には東洋医学を基本にした「治療院からだはうす」を開設。91年には舞踏と治療とセラピーの統合を図るため「トータルリコール研究所」を開くなど、身体や感情、心理や知性、感覚やスピリチュアリティのエネルギー的関連を象徴的な見方をとおして紐解いていく作業に取り組んでいます。世の中が、スピリチュアルと騒ぐ前から、それこそ日本におけるスピリチュアリズムの先端にいつもタカハシさんはいました。

舞踏に関しても、ライフワーク的な意味合いで、ずっと、続けてきており、これも心と体の真相に迫ろうという彼ならではのひとつのアプローチのように思えます。そして、ちょうど神殿舞踏なるものをテーマに踊り始めた頃、戸隠と縁ができて、いまに至っています。戸隠神社火之御子社のお祭り開催日に合わせて、吉祥寺から総勢10名以上でやってきます。舞台をつくる人、照明、カメラ、そして音楽家を引き連れて、泊りがけでやってくるのです。僕たちは、タカハシ一座と呼んでいます。

お盆過ぎの平日、夜7時から9時頃までのイベントです。こういうアーティスティックな舞踏は、なかなか、観る機会が少ないと思います。奉納舞踏ですから、観劇料はいただきません。神社境内の神秘的な雰囲気のなかで、ドラマチックに展開される舞踏をぜひ、ご覧ください。

当日のチラシはこちらをどうぞ。神殿舞踏2010ちらし

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