インターネット黎明期のこと

Web論
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インターネットの世界に初めてアクセスしたのが1993年頃か。あれから25年以上も経つ。感無量である。

当時は、Windows95が出る前、Windows3.1にカメレオンというTCP-IP接続ソフトをかませて、電話回線につながるモデムは2400bps、ブラウザはNetscapeだった。オタッキーな言葉ばかりで恐縮。

実はその前からパソコン通信の魅力にハマっていて、Niftyserveや草の根BBSに入って、ネットワークの可能性に興奮していたのだ。最初は東芝ルポというワープロ専用機でパソコン通信を始めた。

20代後半の頃、つまり1980年代。バブル全盛の頃に、当時勤めていた広告会社の社長に、僕はこう進言した。

「これからはパソコン通信で情報をやりとりする時代になります。デザインはすべてデータ化され、ネットワークを通して送れるようになります。そしてカタログ販売に代わって、ネット販売が主流になってきます。社長、その研究のため僕にパソコンを買ってください!」

「何を莫迦なこと言ってるんだ」と鼻で笑われたけれど、ノートパソコン購入と通信環境への投資の要望は受入れてくれた。ありがとう。A社長。

当時の僕がパソコンによるネットワークに感じた大きな魅力はふたつあった。

ひとつは、ユーザーがものづくりに参加できる環境。

パソコン通信上では、いわゆるフリーソフトやシェアウェアソフトの開発が盛んで、そのソフトウェアの開発コミュニティで一般の誰もが意見を言うことができた。

Ms-DosをOSにしてエディタソフトや、プリンタソフト等の実用的なソフトウェアを開発する日曜プログラマが生まれ、さらにみんなの意見で磨きをかけられ、ユーザーがどんどん増えていく。

このように開かれた仕組みというのは、これまでの企業主体によるフトウェア開発では不可能だった。

これは、発想の大きな転換であり、ものづくりの革命といってもいい。いまいち普及しなかったけれど Linuxなんて、本当に素晴らしい。打倒MSである。その心意気や良し。

一般のユーザーが参加して、より使いやすく、素敵なソフトウェア(もの・商品)を開発できる。

これこそネットワークという技術の最大の醍醐味だと今でも感じている。

流れは、今でも続いていて、口コミというものも、その一端を担っているだろう。

ただ残念ながら、開発者とユーザーとの昔のように 親密なコミュニティはないように思う。ネット人口が莫大になったからやむを得ないが…。

もうひとつは、世界平和を期待させる集合知。

僕には、世界地図に描かれたネットワーク図が、人間の大脳のようなイメージに感じられた。

ネットワークの先に一人一人の人間がいて、みんながつながることによって、理想的な集合的意識ができるのではないか。三人寄れば文殊の知恵どころではない。三億人寄れば弥勒の知恵ではなかろうか。

一は多のために。多は一のために。人類の夢。

世界から、戦争がなくなる日は近いのではないか。脳天気にも、そう感じてしまった。

しかし、ご存知の通り、現実はそう甘くはなかった。

逆に、知が広まるのと同じように、無知も一挙に広まった。

ネットワークの功罪はいろいろ言われているが、便利な包丁も使い方ひとつで凶器になるのと同じこと。便利であればあるほど、使い方を間違えると怖い。

パソコン通信からインターネットの通信網になって、さらにモバイル全盛になって、ネットをめぐる環境はどんどん変わってきた。

それでも、変わらない本質がある。

それは、個人に光が与えられたこと。

それまで、眼に見えなかった大衆の姿。

ネットによって個人にスポットライトがさして、発言の場が与えられた。

ここが一番の本質だと思う。

個のまなざしが、ものづくりに向かうか。コミュニケーションに向かうか。

僕はここにいる。あなたはそこにいる。大衆というあやふやなイメージではなく、確たる個として、匿名の個として、存在を主張できるようになったのが大きい。

だからこそ、個をもっと磨かなければいけない。個をもっと大切にしなければいけない。ありきたりな言葉だけど、本当にそう思う。

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