諏訪には考古学に詳しい方がたくさんいて、一言、「縄文」とつぶやけば、ここぞとばかりに豊富な知識を披歴してくれます。
なんせ、この地域は縄文や旧石器の遺跡があちこちから発見されているお土地柄。
茅野市・尖石縄文考古館のふたつの国宝土偶「縄文のビーナス」「仮面の女神」はあまりにも有名です。
さらに富士見町・井戸尻考古館には、マニア好みの見事な壺があって、ぼくは文字通りツボにはまりました。
そこで、縄文マニアではなく、単なるいち縄文ファンの立場から、縄文のどこが魅力か。
まず、岡本太郎をうならせた縄文土器のデザインですね。力強く、それでいて神秘的な紋様は、意味もわからず、ただただ眼が釘付けになります。
なんだか、心が落ち着くのですよね。それらを見つめていると、自分の遠い遠い祖先は縄文人であったに違いないと妙な確信がわいてくるのです。変だけど、この感覚は気持ちいい。
それと、後づけの理由ですが、縄文時代は部族同士の戦闘による殺人がなかったのではないかということ。人がつくった武器である矢が刺さっている頭蓋骨は、縄文の遺跡からは発見されていないそうです。弥生時代以降にそういう戦闘による殺戮のあとが発見されている。
そして縄文時代は、そんな平和な時代が1万年以上も続いたなんて言われると、すげえな、俺たちのルーツ!と誇らしい気分になるではありませんか。
人類の歴史は、戦争の歴史であった、なんて、これまで教科書で習ってきたけれど、そんなことはないんだ。現代人は、縄文人の発想や考え方から何かを学べるかも知れない。ひょっとしたら、世界平和を実現するカギが隠されているかもしれない。
そんなこんなの理由で好きになりつつ、今度は、縄文土器をその紋様から読み解いていくという試みがあるのを知って、神話的な縄文世界観に思いを馳せていくと、これはこれでまた面白い。
世界の古代文明や宇宙人との関係もありそうだし、あまりにも謎が多く、奥が深すぎて、そこにわれら素人でも妄想の入る余地がたくさんあるのですね。
縄文を考えると、荒唐無稽なイメージがどんどん浮かんできます。
だから。
好きだなぁ、縄文。
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