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半農半アートという生き方って、できるのかな?

2014/04/23
 
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むかしむかし、宮沢賢治という人がいて、
農業を営みながら、売れない詩や童話を書いていた。
経済としての農業、非経済としてのアート。

ちょっと前に半農半ビジネスという記事を書いたが、
半農半アートという生き方っていうのも夢想してみた。

人は、食っていかなれば生きていけない。
食うことでしか生物的な生存を維持できない。
いくら大きな屋敷に暮らしても、大金を持っていても、
明日の食糧に事欠いたら生きていけない。
あたりまえに「食」は基本なのだが、
現代社会はそれ以外の余計なものが増え過ぎて、
「余分」を維持するために人はお金をせっせと稼ぐ。

余分なものとは、暗闇を照らす電灯だったり
遠くの世界へ旅立つ自動車だったり、
知識を広げるための教育だったり、
他人よりましに見せたい見栄だったり、
まぁ、文明としての成長とともに
いろいろ背負ってきたけれども、
そんなあれこれは直接的な生存とは関係はない。
そんな余分な飾りをそぎ落としていくと、
では、人が生きていくために何が残るのか。

人が生きていくために食が必要であって、
人が人として生きていくために言葉が必要であって…
つまり、
人はパンのみで生きるものにあらず。
まず初めに言葉ありき、なのである。

言葉っていうのは、コミュニケーションのきっかけ。
ひとりではないことを確かめたり、
だれかと思いのやりとりをして
喜んだり悲しんだり笑ったり、傷ついたり。
でも、
コミュニケーションっていうのは、言葉だけではない。
おどったり、うたったり、つないだり、
ふれたり、まさぐったり、みつめたり…
いくら言葉を尽くしても伝わらない心が、
ちょっとした身体表現で伝わることだってある。

ダレカに気持ちを伝えたい。
ワタシがボクがここにいるという叫び。
自然から切り離された存在としての人間が
自分以外の存在と関わっていきたいという思い。
そんな思いが人を表現へと駆り立てる。

畢竟、「つながりたい」のだと思う。

すべての表現は、コミュニケーションを求めている。
ときに、その対象が自然であったり神様になったり。
人は表現することで「つながって」いる。
そのつながりが、ぼくとあなたや身近な人だけではなく、
もうちょっと大きな広がりを持ってくる表現がアートと呼ばれる。
だから、誰もがアーティストでありうるわけだけど、
誰もがアーティストになれるわけではない。

「つながり」とは、照れくさいが別の言葉では「愛」と言う。

身近な恋人を幸せにするのも愛なら、
美空ひばりのように多くの人を幸せにするのも愛。
仏教では衆生を愛によって救済することを菩薩行という、らしい。
アーティストって、大なり小なり菩薩なんだな、と思う。

てなわけで…
人間の生存に必要なのは、
いろいろな余分を排除していけば
つまるところ「食」と「愛」だろう。
であるからして…
半農半アートは、とっても根源的な生き方だ。
しかし現代社会では、どうしたって経済活動も必要。
農業によるお金稼ぎは、いま、難しくなりつつある。
アートによるお金稼ぎは、一握りの人だけが可能。
それでもバランスのとり方はきっとあるのだと思う。
僕は、そんなアーティストたちともっと出会いたい。

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Comment

  1. アリ派二号 より:

    この不景気のさなか、
    本気で両立しようとしてたら
    阿呆と思われても仕方ないですね;

    でも私は
    みんながその気になれば
    できるのではないかと信じています

    マルクスなんかも
    全員が芸術家になる時代が来る
    とか言っていたそうで、
    賢治もマルクスも相当な
    ロマンチストですよね

    でも私は好きですが^^

  2. KIKU より:

    >アリ派二号さん

    僕も可能であろうと思います。また実践している方も知っています。
    現代社会のどうしても銭が必要な部分(たとえば子供の教育費とか…)と、
    どの辺で折り合いをつけるかが課題になるんでしょうね。

    またこのブログに遊びに来てください。

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