広告批評その他あれこれ

百貨店の衰退が意味するもの

2018/06/24
 
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軒並み売上ダウン。日本の百貨店は、いま空前の危機を迎えている。そういえば、僕もこの一年間で百貨店に足を運んだのは数えるほど。お客さんが減っているんだろうなと思う。

今まで僕は流通関係の広告を手がけることが少なく、東京時代はOIOIのDMにちらっと関わったぐらいで、長野に来てからもファッションビルのCFとWEBには携わっているが、いずれも内容は濃いものの量的には少ない。だから、流通広告の専門家と呼べるほどではないのだが、少し感じたことを…。

かつて百貨店広告が華だった

百貨店の黄金時代は1980年代、僕がコピーライターになりたての頃ではなかろうか。「おいしい生活」「不思議大好き」の糸井重里さん、樋口可南子と結婚したイトイの後を追うように、女優の浅野温子と結婚した丸井の魚住勉さん(なぜかコピーライターがモテた時代)、当時の大御所であった伊勢丹の土屋耕一さん、パルコの石岡瑛子さん、そして、現代の大御所である仲畑貴志さんなんか流通関係の広告を総なめにしたのではないかというくらい勢いがあり、勢い余って、果ては九州の百貨店岩田屋でも、すばらしい広告を数多く手がけた。

なぜ、百貨店に元気があったのだろう。商品を買う。その先に、喜びに満ちた生活がある。生活提案型の広告をしていれば、ものが売れた時代。夢をとらえて、夢をえがくことが、広告の役割であった。しかし、時代は大きな転換期を迎えた。

大衆が見えなくなってきた

価値観の多様化というキーワードが、バブル崩壊の前夜、1985年頃から蔓延してきた。大衆という言葉では時代が捉えられなくなり、少衆・分衆というマーケッティング用語まで生まれた。雑誌の受難時代もこのころから始まったのではないか。「平凡パンチ」という週刊誌が1988年休刊。大勢の若者たちの心を雑誌が捉えきれなくなったのだ。

みんなが同じ夢を持って同じ方向へ向かっていくことが難しくなった。そういう夢がバブルの崩壊とともに描けなくなった。大衆はどこにもいない。マスメディアの力も弱くなり、それとともに、広告制作の現場、なかでもコピーライターという職業に勢いがなくなってきたように感じる。

バブル崩壊後の価値観の変化は、現在まで持ち越しになっており、デフレスパイラルを生み出し、百貨店を衰退させている。価値観の変化あるいは多様化という言葉に惑わされる状況はいまだに続いている。

ファシズム前夜にはしたくない

多様化することでなんでもアリの世界になって、とんでもないことまでアリを許容する社会になっている。おかしいなぁ、これはアリではないでしょ。僕が思うには、多様化の行き着く先が見えてきて、やっぱり、価値観が欲しいという時代になりつつある。こういう状況はファシズムを生み出す温床にもなるわけで注意しなくてはいけないんだけど、でも、マーケットは新しい価値を求めているという実感はある。それだけに、広告の現場に、いま、生きているわれらはより注意深く、より慎重であらねばならないんじゃないかなぁ。

百貨店の衰退は、そういう意味で、時代がドラマチックに動いていく、もっとも象徴的な出来事のひとつであるように思う。

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