今からおよそ17年ほど前、1990年頃、スーパーコンピューティング・ジャパンという展示会があった。仕掛け人は、アメリカの展示会エージェンシーだが、その日本における代理店の社長が僕の昔からの知り合い。僕は、ポスターやパンフレット、ダイレクトメールなど広報宣伝物すべてのディレクションを手がけた。
当時は、いわゆるバブルと呼ばれている時期で、儲かっている企業では、億円単位のスーパーコンピュータの導入が真剣に検討されていた。
赤坂のホテルオークラで打合せしたり、お正月休みを無視されたり、逆にアメリカの休日で作業がストップしたり、グローバルな仕事でいろいろとエキサイティングな体験をさせていただいた。僕は、英語が堪能ではないので、代理店の方の時差つき通訳が間に入った。いちばん悔しいのが、みんなが笑っているとき、そのジョークに即座に反応できないことだ(涙)。
基本デザインに関しては、シルバーを使おうという僕の提案が通って、意外と順調に進んだ。だが、米国人がこだわったのは書体だ。当時は、マッキントッシュを使っているデザイン会社が、まだまだ少なかった。ほとんどのデザイナーは、アナログに写植指定をして、印刷所への最終納品形態は版下というものであった。
書体が気に食わない、スマートではない、とアメリカ人が言う。書体を伸ばしたり縮めたり、いろいろ工夫しても、どうしてもNG。そこで、サンプルを見せてください、と言うと、英語のパンフレットが送られてきた。それを見て、原因がわかった。こちらのデザイナーは、日本語の書体で英字を指定していたのだ。英字の指定は、英字の書体で行うべき。マッキントッシュなら当たり前だが、写植時代のデザイナーは、あまり英字書体に馴染みがなかったのだ。
ともあれ、米国製や日本製のスーパーコンピュータを日本国内の企業に紹介する展示会は、無事に終了した。エージェンシーの外国人から、直接、僕にギャランティが支払われた。さらさらと小切手にサインして、サンキュー、と。僕は、額面1千万円を超えるアメリカの小切手を手にして、当時は、新幹線ではない「特急あさま」に、盗まれては大変とドキドキしながら乗車した。
やがて時代はバブル崩壊を経て、ビジネス上のコンピュータは、大型ホストマシンとワークステーションを結んで処理するよりも、ひとりに一台のパソコンとネットワークによる分散処理が主流になってきた。テクノロジーの進展とネットワークの波及が、あっという間に、ビジネスの進め方の仕組みを変えてきたのだ。
それでも、宇宙工学や医療、最先端科学の分野では、おそらく、スーパーコンピュータが元気で活躍しているのだろう。 スーパーコンピュータという名前は、その時代の最高の演算処理を持つマシンに与えられる名誉ある称号だ。ゆえに、つねに時代を象徴するスーパーコンピュータは存在し続け、この言葉が古びることはない。スペックの最先端を走ること。それは、それ自体で、唯一無二の美しい価値を有するものと思う。
ここ20年を振り返ると、僕は、いつも広告という立場から、コンピューティングの最前線に関わり続けてきた。では、これから先が、どうなるか。テクノロジーにとどまらず、そのメンタルな反動も含めて、どうなるか。これは、僕にとって、つねに変わらない大きなテーマだ。
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