知識をひけらかす人間は、バカの上塗りをしている厄介ものだ。
その道の専門家や学者になるくらいの知識量であれば、
それは生きる糧になってはいるのだろう。
その知識を詰め込むために、どれぐらいの時間を費やしたのか。
それによって、どれほどの生活を犠牲にしてきたのか。
人間よりも、本と接していたほうが心が落ち着く人たち。
だから、生涯独身を貫く学者も少なくはない。
そういう態度は覚悟が決まっていて、ある意味、潔い。
タチが良くないのは、知識に依存する中途半端な一般人。
読書を趣味としている、なんてほざく奴らは、
たいてい家庭生活が破綻していて、書斎を隠れ家としている。
もちろん、バランス良く、どちらもこなしている人間もいると思う。
そういう人間のほうが多いのかもしれない。
いや、多い少ないは、どっちでもいい。
子供の頃、遊び相手が少なく、本を友達にしていた奴。
友人との交流で学ぶべき多くのことを、スポイルした奴。
でも、学者になれるほど、のめり込むことはできなかった奴。
中途半端だから、学者のように自らの孤独を選べない。
ついつい友人や女性と仲良くなりたいと思ってしまい、
やがて姑息な手段を編み出してしまうのだ。
半端な知識をふりかざして、人間関係をつくろうとする。
それしか自己主張する手段を知らない。哀れだ。
自分の感じたこと、考えたことではなく、知識そのものを
自分という存在を証する唯一の手段と勘違いしてしまう。
そばにいた人たちは、みな呆れ、当たり前に去っていく。
すごく寂しい人生を歩んでいるのは、
自分自身の鼻持ちならない態度のせいだ。
気づけよ、そこに!
バカさ加減をさらして生きればいいのに、
半端な知識が邪魔して、それができないから悪循環。
知識で自分の鎧を固め、優越感にひたりながら、その反面、
人間関係不全の劣等感に落ち込み、その両極端で震えている。
その鎧を脱ぐと…
ノッペラボーでデクノボーなひとりの男。
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