生きてるかい? じぶんに素直に…

生きる
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2007年4月に立ち上げてから、このブログサイトを細々と続けている。

ふりかえれば当時は、ブログシステムとしてまだ無名だったWordpressを

もっと普及させようという、使命感みたいな強い思いがあったなぁ。

それと、コピーライターの教室というのもやっていたから、

東京と長野での広告キャリアについての記事もけっこう多かった。

それと、田舎暮らしの楽しさみたいなことも書いていた。

バブルがはじける寸前に長野へ移住してきたからね。

景気の良い東京を脱出して、縁故のない信州へ移住するなんて、

「気が狂ったか!」と言われるほど珍しかった。

また、ブログ開設当初は、仕事独立して数年後の時期。

会社員だった頃には言えなかったことも自由に発言できる。

そんな感じだったなぁ…と思い返してみる。

14年間かぁ。
じぶんは、このブログで何をしてきたのだろうか。

仕事はそれなりにやってきたし、成果もあげてきたけれど

なんだか、それだけで、いいのか、という思いが年々強くなる。

しがらみがないとはいえ、ビジネスのしがらみはある。

オブラートで包みながら発言するのはお手のものだから、

ほんとうに言いたい過激なことは、まぁまぁ、控えてきた。

ワンオクロックの歌詞が今更ながら身に沁みるのよ。

「自分を誤魔化し生きることに意味はあるのか」

年齢は若かろうが年寄りだろうが関係ない。

若くなければ、なおさら、わかっているはず。

生きるということは、生活することと違うって。

自分のほんとうにやりたいことは、これだったのかい。

生活することを優先させて、周りの意見に気をつかって、

ほんとうのじぶんを生きることを怠っていやしないか。

そりゃね、ほんとうの自分があまりにも反社会的であるなら

ある程度の節制とブレーキをかけなくちゃいけないけれどさ。

ほんとうのじぶんは、だれにでもあるんだよ。

それを我慢するのが社会に適応することだと

われらは小学生の頃から洗脳されてきたわけだ。

そこから外れてしまう自分がいたりすると、

いやいや、これはイケないじぶんだ、引っ込め引っ込め、と

自粛、自己規制していって、やがて、

聞き分けの良い大人へと飼育されていく。

そんなことないって、これは自分の個性だ、といくら胸を張っても

そのなかの、大部分は、洗脳されてるんだ。上手に仕上がっている。

巧妙なんですよ。社会からのそういう意識の圧力という奴は、

自分の意思であるかのように見せかけてしまうから怖い。

人の裏をかいていくから、気づかないわけだ。

でも、ある日、ふと、ほんとうの自分を考える。

あれ、どこにもいないと思うか、それとも

あっ、これがほんとうの自分だと発見するか。

発見すると、あまりの落差に精神が音を上げて、まいってしまう。

まともな人間から、疎外され、まいってしまうのが今の世の中。

ほんとうの自分なんて、今更、考えちゃいけない。

歩いてきた道が、おまえ自身なんだから、という囁きもある。

けれど、それだって、いや、それこそが常識の圧力ではないのか…。

 

ブログ開設14年目の節目に、今更だけど、

逆に、今だからこそ、ジタバタしようと思ってる。

 

 

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