大げさなタイトルをつけてしまったけど、もう、ほとんど毎日、このことを考えているのは事実。いわゆるコピーライターの黄金時代というのがあって、その頃に業界に入ってしまった僕としては、華やかな80年代とバブルの崩壊を目の当たりにして、それと同時に、世の中の「コピー」が変質していくことを実感していました。当時、僕は仲畑貴志さんというコピーライターが好きでした。一般的には糸井重里さんのほうが有名でしたが、業界内では仲畑さんに憧れてコピーライターになった人のほうが多かったような気がします。サントリーやTOTO、丸井、パルコなど数々の名コピーを生み出した、広告界のマエストロみたいな存在。いつも彼の動向が気になっていたんですが、小泉今日子をイメージキャラクターに「ベンザエースを買ってください」(1985年)という広告を見たとき、これは、行くところまで行ってしまったな、というショックを覚えました。それは「コピーライター時代」の勢いがあったからこそ、逆に、成立できた表現であって、まさに、その時代の広告状況を象徴するような一回限りの名コピーでした。ある人は糸井重里さんの百貨店の広告コピー「ほしいものが、ほしいわ」(1988年)を見て、コピーライター時代の終焉を感じたそうです。
終焉とは言っても、コピーライターという職域は広告が始まってから、つねに存在していたし、ものを売るための言葉の重要性は、いまもむかしも変わりがありません。なぜ、当時、コピーライターが脚光を浴びたかというと、時代の雰囲気をいちばんきっちりと表現できていたのが、コピーライターだったからという理由でしょう。コピーの言葉と時代が添い寝をしていたのですね。
いずれにしろ、バブルの崩壊によって、生活者の消費行動が大きく変わります。財布のひもがかたくなり、簡単に言えば、節約志向になっていきます。生活提案型の広告が陰をひそめ、ダイレクトな機能や価格訴求が前面に出てくるようになります。このような広告を、あの手この手でコピーライターたちは考えるようになります。ものを売るための言葉を考えるのがコピーライターの仕事ですから、消費者の意識が変化すれば、それに合わせて表現も変化して当然です。
さらにインターネットというメディアの登場によって、広告の戦略、その表現は、ますます複雑なクロスメディアという網の中で、新たな道を模索するようになります。
でも、古い時代からのコピーライターである僕は、こう思うんですね。複雑化してしまった現代ほど、シンプルな言葉やビジュアルが必要な時代はない、と。複雑化したメディアの網をどのような色に染めるか。その辺が、とっても重要なんですね。ちょっと前のアメリカ大統領選挙で有名になったあの言葉「Yes, We Can.」は、さまざまなメディアをクロスオーバーして強い訴求力を持ちました。ごく最近の「政権交代」も、実際の施策には問題点はあってもとりあえず「Change」である、と。オバマさんと鳩山さん、どちらも人の顔がメッセージのアイコンとなりました。
では、政治ではなく、広告の世界では、どうなのか。その鍵を握っているであろうキーワードが僕のなかでは、いま、いくつも駆け巡っています。現代人は、どういうときに、どう伝えれば、ものを買うのか。僕はこう考えます。ものの良さを伝えるだけでは不十分で、それをつくる、または売る人の人間性を伝えなければならないんじゃないかって。な~んだ、あたりまえ、じゃないですか。でも、このあたりまえを表現するための仕掛けが、いま、不十分なんですね。その仕掛けを動かしていく言葉と、仕掛けのビジュアルアイコンと、その辺がこれからの仕事の領域になりそうな気がしています。まぁ、まだ頭のなかで、もわもわしていますけれど。同じようにもわもわしている人がいれば、いっしょに考えられたら、いいですね。
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