僕ら広告制作の現場には、不況の波がまっさきに襲ってくる。企業が経費を切り詰めようとするとき、交際費、交通費、広告費という3Kがいちばん最初にカットされる。これが社会の一般的な原則だ。
僕は、バブル絶頂のときに東京で仕事をしていたから、当時の広告制作料を肌で知っていて、長野へ移住してきたときは、そのローカル料金とのあまりもの落差に愕然とした。そしてバブル崩壊、デフレ不況と続いてきて、これ以上、制作料金が安くなったら、地方で広告制作に携わる人間はみんな廃業だ、という寸前のぎりぎりにきているのではなかろうか。
最近、ある映像系の広告制作マンと話をした。「僕らは20年前と、料金が変わらないんです」。それは印刷系の制作会社も同じ。
広告制作会社のビジネスモデルは、広告主がいて、広告代理店がメディアを斡旋して、制作会社は直または代理店経由で広告づくりを発注される。いわゆる B to Bの受注型産業に分類される。あくまでも受身であり、数ある制作会社の中から選ばれるためには、なんらかのアドバンテージがなければならない。それは、スタッフの多さか、クリエイターの人柄か、表現のクオリティか、安い料金か。
僕は広告制作者をよく芸者にたとえたことがあって…お座敷をかけてもらうためには、芸を磨く、オンナ(人間性)を磨くことが何より大切よ。安売りなんかは、引退寸前になってから。ま、あたいは安売りするくらいなら、引退を選ぶわね。な~んて、話をしたものだった。現実問題としては、クライアントの意向あってのお仕事だから、当然、料金面の交渉は日常茶飯事。割りに合わない仕事だって、笑って、こなしますが…。
ある仕事で、見積の打診があった。以前は、東京の制作会社でつくったらしいが、そのリニューアル版をつくりたいという。僕らはその作品を見て、同等の品質で同等以上の広告をつくるために、細心の注意を払って見積もりを提示した。すると、代理店から「こんな高い料金を、ローカルの企業がだせるわけがない」と言われた。
ほんとうに、そうですか?
内容あっての価格だから、その内容をきちっと理解してもらえれば、料金は正当性を持つ。こんな当たり前のことが、デフレという波の中では、ついつい忘れがちになってしまう。内容よりも価格ありきで、広告づくりを考えてしまう。僕らは代理店の人に理解してもらい、代理店は広告主に理解してもらうよう交渉した。
最終的に、料金は落ち着くところに落ち着くはずだ。ただ、最初から、臆病になってしまうのは、どうかなと思うのだ。ローカルだからしょうがない、のではなく、まず初めに企画ありき内容ありきで広告づくりをしていかなければ、広告主に対しても不誠実だと思う。
広告制作マンは、効果のある広告で、制作料金以上の価値を生み出すことができる。広告主に対して、ほんとうに誠実なビジネスをするなら、いま、何をすべきか。その辺に、これからローカルのマーケットを活性化するためのヒントがあるように思うのだ。
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