あれ、大衆がこんなところに!

広告論
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いわゆる広告って、なんらかのメディアを使うことが前提。DMやチラシをたくさん印刷して、配布する。ポスターをつくって、より多くの人に見られる場所に掲示する。発行部数が多く、読者をある程度絞り込める雑誌や新聞に出稿する。コマーシャル映像をつくって、スポットCMをテレビ電波に乗せる。

広告代理店や制作会社は、クライアントの意向を受けて、広告表現を考え、メディアを選択して、一定の予算の枠内で最も効果的なプロモーションを提案します。近年は、ご存じの通り、インターネットメディアを利用するプロモーションの比重も高まっています。

広告は、時代とともに、大きく変容してきたかのように思えます。広告業界に身を置いて、もう30年になりますが、。メディアが細分化され、消費者の行動がつかみにくくなり、より多様な広告戦略が求められるようになり…様々な広告メディアの盛衰を目の当たりにしてきました。

広告制作の現場では、広告メッセージを伝えたい人たちのことを「ターゲット」と呼びます。かつては、大衆という名のターゲットが存在したと言われています。大量生産、大量消費という時代の産物が大衆でした。大きいことは、いいことでした(笑)。やがて経済の成長率が鈍ってくると、人々はモノを買わなくなります。「賢い生活者」なんて言葉が登場して、モノの良さを丁寧に伝えることが重要になりました。モノがたくさん売れるというより、多品種少量生産で市場のニーズに応える時代。いまも、基本的には、このデフレのなかで、同じような分析がなされているのだろうと思います。

でも、ごく最近、それも、ちょっと、違うなぁ、と感じることが多くなりました。

村上春樹の本が爆発的に売れたり、iPadが凄いことになっていたり、打ち上げ花火のようにドカンと売れる現象が頻繁に発生しています。これは、どうしたことなのでしょう? 

我慢していた消費の快楽がはけ口を発見したかのように、そこに集中しています。誤解をおそれずに言えば、スーッとみんなの意識が思考停止になって、ファッション感覚で消費行動に走っているように見えます。

もちろん商品に魅力があり、それが売れる要因なのでしょうが、それだけとは思えない。「売れてる」から「買う」という、いくつもの支流が合流しながら大河になっていくという、そんな意識の流れがあるのではないでしょうか。

あれ、いなくなったはずの「大衆」がここにいるよ。そんな戸惑いを、広告の作り手としては、いま、楽しんでいます。これは、新たな「広告」の時代の幕開けかも知れません、と願いを込めて。

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