正義の見方というタイトルを思いついたが…

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すでに宮崎哲弥氏がそういう題名の本を書いていた。僕はそれを知らず、本自体も読んでいない。ダジャレとしては、まぁまぁのところ。

「正義」とは、いったい何か。僕は思想家や評論家じゃないので、大それた論文を書くつもりはサラサラないけれど、ときおり、このような問いが頭の中に沸き起こる。それは小学生の頃から、僕の小さな前頭葉にムシのようにとりついてきた。

正義のいちばんの問題点は、自分の確信した正義こそが、いちばん正しいと絶対化してしまうところだろう。そして、それを他者にまで波及させようとしてしまうところだろう。小学生時代、ウルトラマンごっこが流行った。君がウルトラマンで僕はバルタン星人だ。えいっ、やっ、とぅ、と子供同士で戦いを繰り広げる。そのとき、なぜか、バルタン星人から見れば、ウルトラマンは悪者ではないかと思ってしまったのだ。無邪気じゃない、変な奴だね、まったく。ガメラは、怪獣でありながら子供の味方であり、ウルトラQでは、けっこう文明批判的なストーリーもあったように記憶している。おそらく、当時のテレビ番組や映画の制作者たちには、常日頃から、「正義」とは何かという問いかけがあって、映像を制作していたのではないか。勝手な憶測だけれど、社会との関わり方について、60年安保、70年安保、浅間山荘、連合赤軍事件とつづく、時代の意識が子供たち向けの番組に反映されていたとしても不思議ではない。ただそれは暗号のように映像内に隠されており、子供たちに発見され、読み取られるのを待っていたとしたら…。

太平洋戦争、学生運動…社会の正義なんて、時代や環境によってころころ変わってしまう。それを前提として、そこから懐疑的な生き方が生まれ、ある人は、変化する方向へ回転しながら、ある人は、社会とのつながりを失いながら、それでも、それぞれの暮らしはあるわけで…。どうも、社会正義の喪失によって、個への執着が強まって、個こそ正義であるというようなところまで行ってるような気がする。ううむ、難しいところだね。結論なんて出そうにない「問い」だけど、考えることに意味がある(笑)。学生のような青い気分で、また、今度、会ったときに話そうか。

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