メタボと健康は世につれ…

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メタボ健診とかいって、大騒ぎしていた日本。世の男性陣も、メタボという言葉に敏感になっていたのではなかろうか。そんな中、こんなニュースが流れた。

メタボ 腹囲の線引き困難 発症リスク急増根拠なし…厚生労働省研究班

まぁ、お相撲さんだからといって、長生きしている人もいるわけで全員危険なわけではない。太っていたからといって、それがすぐに発症につながるわけではないという当たり前の結論。突然の太りすぎに注意するのは、常識的に考えても当然のこと。それでも男性であればお腹が85センチ以上であればメタボというのはかなり敷居の低い設定ではあった。僕のからだは、その基準には達していないが、かなり近似値なので精神的なプレッシャーはあった。現在でも、入浴後のストレッチは続けている。これは衰えた筋肉を復活させるのが目的だが、メタボに対する危機意識も後押ししてくれたからこそ、どうにか続けていられるのだろう。

これからはメタボ=太りすぎではなく、総合的な判断基準がアメリカのように設定されるんだろうね、きっと。しかし、それにしても、この一件で思い出したのは、健康に対する正しさの基準がよく変わるということ。むかしは、激しい運動をして汗を流しても、その最中には水を飲むなと言われていた。いまや積極的な水分補給が当たり前。肩の筋肉痛は、暖めるのか、冷やすのか。赤ちゃんの育て方も時代によって、仰向けがいいとか、うつぶせがいいとか、ダッコの仕方もいろいろと変化があるらしい。

健康に関しては、ある理論というのがまずあって、そこを基準にワァーと時代がなびいていくような気がする。健康とサイエンスは、親しい関係にある。でも、科学だからこそ、研究が進化して、その結果が変わることもある。そんな日和見な科学よりも、本当は、自分のなかの身体感覚がいちばん正解に近いのではないか。現代人は、科学とは真逆の野性的なその身体感覚がひじょうに衰えている。そこに、もっと根っこの深い問題があるんじゃないかなぁ。と我が身を振り返るのでありました。

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