メメント・モリな夢を見た

時事・世相
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昨日の朝、久しぶりにリアルな夢を見て、それを覚えていたので少し記しておこうと思う。

フランスかどこか、地下迷路のような都市で僕は生きている。何か闘争のようなものをしているのかも知れない。ある日、丸いヘルメットをかぶった屈強な男性が二人、目の前に現れる。ミシュランのキャラクターのように着ぶくれした腕で、僕は何の準備もなく、不意に、その男の一人にヘッドロックされてしまう。そのまま、石の床にたたきつけられ、その男は僕に向かってこう言うのだ。

「おまえは死刑だ」

首を動かせぬまま、目を横に泳がせると、そこに僕の仲間がいて、彼も同じような姿でもう一人の男にヘッドロックされて、どうやら同じように死刑を宣告されているようだ。

シーンは変わって、牢獄のようなところに僕と仲間が入っている。仲間の顔はよくわからない。ごつごつとした白い石で造られた四角い空間。天井近くの窓から差し込む光が石に柔らかな陰影をつけている。そこで僕は寝転んだまま「死」について考えているのだ。

僕は、もうすぐ死ぬのだ。理由もわからず、とにかく、死刑なのだから死んでしまうのだ。死ぬ時なんて、みんな理由なんて、わからないのではないか。ただ、 死ぬのだ。でも、そういう悟った思いとともに、死にたくないという猛烈な衝動も突き上げてきた。やり残したことがたくさんあるのに、なぜ、いま、死ななけ ればならないのか。そういう切実感とともに、「自分の死について、考えたことなんて、そう言えば、今までなかったなぁ」という客観的な視点も共存していた。「これは夢なんだ、この夢の意味はいったい何だ」

目が覚めて、メメント・モリという言葉を思い出した。メメント・モリは藤原新也の写真集のタイトルとして有名。「死を思え」という意味だったと記憶している。Wikipediaによれば、ラテン語で、Memento mori 「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味らしい。さらにネットで調べると、藤原新也の公式サイトでなんと写真集「メメント・モリ」がフラッシュ動画で紹介されている。1983年の発行当時、僕は下北沢のインド料理と音楽の店「あしゅん」に入り浸っていて、この本もリアルタイムに読んでいた。

「人間は犬に食われるほど自由だ」という一節が、当時、僕の脳髄を貫いた。その頃の友人たちはみんなインドに出かけていたが、僕は行きたくはなかった。

メメント・モリな感覚。いまは、そういう気分が必要な気がしている。

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