深夜のラジオ放送で育った世代

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ラジオ放送がそのままネット経由PCで聴ける!radiko.jp の実験サービスがつい最近始まったばかり。いろんなブログでも取り上げられていて、これは、おもしろい!って、すぐにアクセスしたけれど、ここ長野は対象エリアから外れていて、ごめんなさい、なのだ。

僕が中学生の頃、深夜のラジオ番組が黄金時代を迎えていた。東京にいたから、キー局のラジオをすべて聴くことができた。だいたい深夜12時から3時過ぎ頃まで、聴いていて、当時の中学生の平均睡眠時間はおそらく4時間前後だったろう。海外のロックやポップス、ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、キングクリムゾン、ディープパープル、キャロルキングとか、まぁ、いわゆる洋楽も黄金時代だったような気がする。

深夜ラジオといえば、パーソナリティという言葉が使われ出して、どの局にも人気者がいた。僕がいちばん好きだったのは、林美雄、通称ミドリブタ。ネットで調べてみると、TBS系のパックインミュージック第二部深夜3時から5時にハヤシが登場したのは1970年。それから4年間、ここで僕は、マイナー路線の日本映画や荒井由実、石川セリ、山崎ハコというマイナーな歌手たちを知ったのだ。ちょうど僕の多感な中学生時代に重なる。土方巽という暗黒舞踏のおっさんも登場したようなしないような。まぁ、いわゆる、メジャーな人たちではなく、でも、きらりと主張を持っている人たちを、ハヤシはたくさん紹介してくれた。当時の僕は、膝の故障でスポーツをあきらめ、悶々として、読書やギターに逃避しており、明るい太陽の舞台ではなく、陰のほうにも素晴らしいものがあるということを知り、マイナーな世界にどんどん、のめりこんでいった。海外の明るいポップスより、黒人の魂、ブルースを感じるモダンジャズ。日本の歌謡曲より、似たような情念を感じるなら津軽三味線やフラメンコ。映画は、アートシアターギルド配給の難解なものを見たり、とか、ちょっとアングラ志向の、ませた中学生だった。

いま思えば深夜ラジオって、けっこう影響力があったよね。聴取者からの投稿手紙を読むコーナーは、どこでも定番。それにどうコメントするかがパーソナリティの個性の見せ所だった。日本中に、こんなことやあんなことを考えている人たちがいて、それを聴いて、泣いたり、怒ったり、笑ったり。なんか、電波を通して、同世代のみんなとつながっているような感覚が、たしかに、あったような気がする。

現代は、どこに同世代や同時代があるのだろうか。ブログか2チャンネルかYouTubeかMixiか、いずれにしろ、きっとネットが中心になってるんだな。過去のラジオが掬ってきたみんなの思いを、いまはネットがその役割の一部を担ってる。

radikoがここ長野で聴くことができないのは、ほんとうに残念。でも、スポンサーやローカル局との関係があって、きっと難しいのでしょう。

でも、個人的には、こう思うのですよ。いっそ、ローカルもキー局も、ラジオもテレビも、すべてネットでオープンにしちゃえばって。そこから、競争が生まれて、そこに価値あるフィールドが生まれるんじゃないか。放送局の良質なコンテンツが、逆に、ネットを呑み込むんじゃないかってね。スポンサーにしてみれば、放送だろうがネットだろうが、より多くの人に届けばいいのであって、顧客本位という原則から見ても、放送にこだわり続ける必要は低いような気がします。いろいろ、やっぱり、それにしても、という難しい課題がたくさんあるんでしょうけど、ね。

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