パリには、歌を聴かせる小さなライブハウスがけっこうあって、そこをシャンソニエと呼んでいる。シャンソンは、日本語に訳せば、歌、である。シャンソニエとは、歌小屋というくらいの意味合いだろうか。エディットピアフも歌ったという有名なシャンソニエがモンマルトルの丘を少し下ったところにある。昼間、外観を見た限りでは、郊外にありそうな、凡庸な二階建ての一軒家。隣には小さなぶどう畑があり、のどかな雰囲気だ。日本でライブハウスといえば、都会の雑居ビルの地下というイメージがあるけれど、パリでは石畳の散歩道に、シャンソニエが忽然と現れる。
昨日、長野市内のジャズファンなら誰もが知っているライブハウスの老舗グルービーに出かけた。一夜だけ、ここがシャンソニエになるという。歌い手は、佐々木秀実。ピアノ秋山桂一郎、ベース藤巻良康。普段はジャズをメインに演奏しているふたりをバックに、シャンソン歌手がどのようなパフォーマンスを見せてくれるだろうか。
佐々木秀実のコンサートに、ここ数年、何回か足を運んでいる。歌い出すと、その場の空気が一瞬にして変わる。その圧倒的な歌唱力と表現力によって、観客はひととき酔いしれる。合間のMCも、笑いをまじえて、やさしい気遣いが感じられる。この感情のゆらぎ、酔いの感覚がくせになり、繰り返し足を運ぶ人が多い。私も、その一人だ。今回は、小さなライブハウス。隣の客と肩がふれあう密度で、生の歌声が届く距離で、佐々木秀実を聴いた。
弓からウッドベースの低音が紡ぎ出され、軽やかにピアノの音が舞う。そして佐々木秀実の歌は、いつもながら一流の芸域で聴かせてくれる。だが、今回、いつもとは違う感覚を覚えた。それは本人も冒頭に話していた「マニアックな選曲」によるものかもしれない。メジャデビューアルバム「懺悔」から阿久悠作詞の歌、ジャズっぽいナンバー、フォルクローレ風、シャンソンのなかでもマイナーな楽曲など、佐々木秀実という玉手箱の中から次々に歌が湧き出てくる。音域によって、艶っぽくなったり、雄々しくなったり、さまざまに声の表情が変化する。その微妙なイントネーションの変化に呼吸を合わせ、ピアノの高音とベースの低音が反応する。歌う声がすっと前に立ってくる。3人でなければできない、絶妙なバランスだろう。
佐々木秀実は、この音舞台を愉しみ、より深く歌のドラマに没入していった。ドラマを演じる歌手は、ある一線を超えて、観客を彼岸に連れ去らなければならない。人は彼岸で生命をかみしめ、感情の発露に身をゆだねる。小さなシャンソニエで起きた小さなカタルシス。同時代に生きる佐々木秀実のステージに出会えたこの幸運に感謝したい。
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