『煉夢術』というタイトルに惹かれた。
錬金術ならぬ『煉夢術』とは何事か?
そしてカバーのイラストが秀逸であった。
高校生のころ、唐十郎に対する
それほどの思い入れもなく、
本屋での偶然の出会いによって、
僕は唐十郎の戯曲『煉夢術』を読むことになった。
60~70年代のアンダーグラウンド、略してアングラを、
僕は思春期のころに知ったのだ。
当時の若者雑誌である平凡パンチなんかは、
アングラ文化を応援している気配があって、
高校生の僕は裸のグラビアにどきどきしながら、
この雑誌によって横尾忠則や寺山修二の名前を知った。
このとき唐十郎を読んで、すぐさま新宿花園公園へ行けば、
リアルタイムにおもしろい体験ができたのだが、
あいにくそのころの僕は埼玉県の片田舎で悶々としていた。
同世代の小説家、田口ランディさんは心がけが良いね。
寺山修二の本に感動してすぐ天井桟敷へ出かけたようだ。
出不精で書斎派だった僕が、実際に、
アングラ演劇に接したのは、大学生になってからだ。
なぜか、テント公演をやる大学の演劇研究会に入部。
先輩たちの劇団「無頼派」の旗揚げに立会い、
続けて「夢の遊民社」の旗揚げ公演を見た。
唐十郎は『糸姫』か『下町ホフマン』だと思うが、
初めての唐十郎体験は強烈だった。
佐藤信の黒テントや暗黒舞踏もおもしろかった。
あぁ、これが憧れのアングラ演劇かぁ。
僕は、不条理とか、シュールレアリスムの本をすでに読んでおり、
なんの抵抗感もなく、アングラ演劇を受け入れることができた。
ストーリーとしては、わけのわからん展開を見せる
アングラ演劇を理屈で追いかけようとしたってダメだ。
演劇研究会の先輩たちは、新劇への批判が激しかった。
アングラが左翼の政治運動の一環であるという主張もあり、
唐十郎の特権的肉体論とか、吉本隆明の共同幻想論とか、
埴谷雄高の死霊とか、アングラを語る上で何らかの「思想」は不可欠だった。
まぁ、難しい顔をして、難解な用語を用いていれば、
それが女の子たちに受ける時代だったのさ(笑)。
唐十郎は特権的肉体論といって
戯曲によって演じられる役ではなく、
役者がその人間としての存在を賭けて
その場に時空間を背負って立っていることを重視した。
つまり、簡単に言えば、役になるより、あなた自身になれってことかな。
根津甚八、小林薫、不破万作、四谷シモン、大久保鷹、そして李礼仙。
魅力的な役者がたくさんいて、確かにそういわれてみれば、
みんな自分の個性を出し切っていて、特権的肉体だった。
それと唐十郎演劇を特徴づけたのは、
やはりテントによる興行スタイルだろう。
唐十郎はその演劇言語とテントによって、
日常と非日常の境がなくなる瞬間を演出した。
ラスト近く、テントのどこかがパアーと開け放たれ、
そこから外の風が吹き込み、
われわれを一挙に異次元へ運ぶ。
われわれを因果律の鎖から解き放ってくれる。
そのドラマツルギーが醍醐味であったようにも思う。
僕は、唐十郎に触発されたオリジナル戯曲を書いて、
その演出をして、テント公演をして、それからワケアッテ、
アングラな日々は、21歳で終わってしまった。
その後の唐十郎やアングラは、まったく追いかけていない。
ここ長野市でも熱狂的なファンがいて、
紅テントは何度か公演され、
数年前、誘われて20数年ぶりに舞台を見た。
しかし、その舞台と役者たちは、
残念ながら、もはやアバンギャルドではなく、
かつてのドキドキする感動は甦らなかった。
今月の末、1月31日~2月3日まで。
長野市内のネオンホールという小さな空間で、
唐十郎の作品が上演される。
30代の清水隆史さんが演出を手がけ、
長野市内で活動する劇団員やまったくの素人も含め、
20人くらいの若い役者たちが『ジャガーの眼』(1985年)をやる。
いま、なぜ、若者たちが唐十郎なのか。
長野のアングラ文化なるものは、どのようなものか。
カルチャーはつねに辺境から起こるものだが、
劇場は善光寺へ向かう表参道から少し外れたネオンホール。
アングラが現代の風をうけて、どう変質しているのか。
この芝居を観に行きたいと思う。
コメント
劇団「無頼派」と「夢の遊眠社」が並べて書いてあるのが目に留まりました。
私は劇団「無頼派」の旗揚げを手伝い、その後数本一緒に活動し、「夢の遊眠社」でもその頃、数本一緒に活動してました。
その後すっかり演劇とは無縁の人生でしたが、強烈な経験かつ印象で、ときどき思い出すのですが、混然一体化して、整理ついておりません。
ひょっとしたら、劇団「無頼派」の旗揚げのときにお会いしていたかもしれませんね。
皆さんどうしているのだろう??
ネモトさん、おぼろげながら、その名前に記憶があるような、ないような…私も演劇とは無縁の世界で生きてきましたから、当時の人で今もかかわりのある方は一人だけです。
吉祥寺でずっと整体師をやってきて今は三鷹に拠点を移したTさん。彼も当時の人とはつきあいがまったくなく、どこで何をやっているのやら。今となっては、すべてが幻のなかの出来事に感じられます。
ネット社会で、ささやかに、こういう出会いがあるのも不思議に感じますね。