映画「玄牝(げんぴん)」を観てきました

長野相生座・ロキシーで、久しぶりに映画を観てきました。縁があって、まったく観ようとは思っていなかった映画を、まぁ、義理で観ることになりました。河瀬直美監督の「玄牝(げんぴん)」です。タイトルからして難しくアングラチック、玄人の女性が主人公なのかな?と、わけがわからない。しかも、この監督の映画は観たこともないし、カンヌでなんかの賞をとって、一時マスコミに騒がれていた程度の知識しかない。でも、まあ、映画館の座席で、期待もせずに、観たわけです。
内容は、自然分娩を標榜するある産科医院のドキュメンタリーです。妊婦たちは木造家屋に住み、薪割りをしたり、畑仕事をしたり、スクワットをしたり、そういう日常生活を送りながら、病院ではなく、日本家屋の畳のうえで出産します。妊婦たちの話、助産師の話、院長の話がぼそりぼそりと展開されていきます。出産のシーンもいくつか挿入され、それは生々しく、生命の輝きを見せて、感動的ですらあります。ただ、これは、女性の視点から捉えた美しさ、感動なのだろうな、という思いがどうしてもぬぐいきれず、映像の中に入り込んでいくことができませんでした。僕は古い男なのでしょうか? 終盤、院長の娘が出てきて、もう30歳前後だと思うけど、彼女が父親に毒を吐く「どうして他人ばっかりに気を遣って、じぶんたちに心を払わなかったのだ」というシーンはよく撮影させてくれたものだ、と感心しました。監督がそこまでの信頼関係を築いていたのだろう、と。「玄牝(げんぴん)」というタイトルの種明かしも、最後のほうで、テロップで流れます。老子の言葉からの引用なのですね。「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。」 あ、そうか、谷神は女性器の暗喩なんだと理解するのに、少し時間がかかりました。
この映画は、自然分娩や吉村医院に対する無批判な賛歌ではなく、そこに生じている矛盾や葛藤も描かれています。ドキュメンタリーですから、ある程度、表層的なインタビューが続くわけで、その表面のみで判断されたくないという、監督の思い、思惑が、老子から取ってきたタイトルに現れています。自らの出生に眼を向けて。それを問い続けるためのひとつの切り口が、この素材となっただけのこと。それを、タイトルからくみ取って欲しいと願ったのでしょう。監督は、もし自分が妊娠したとしても、ここで出産することを選ばないような気がします。そういう、表現者としての、いい意味での、したたかさも感じました。

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