一億総表現者の時代

Web論
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日本のインターネット黎明期のわりと早い段階から、この世界に関わってきました。広告業界に棲息する一人として、メディアについて思いをめぐらす中で、やはり、インターネットがもたらしたインパクトは大きいといえます。

Windows95というアップルライクなOSが登場して(それまではインターネットに接続するにはカメレオンというTCPIP接続用のソフトが別途必要だった!)、一挙にインターネット接続の敷居が低くなりました。

ホームページ作成用ソフトも徐々に充実してきて(それまではテキストエディタでHTMLを書いていた!)、だれでも手軽に自分のメディアを持てる環境が整い始めました。

ただ実際に個人レベルでホームページを持つ人はまだまだ少なくて、僕のようなオタク気質のコピーライターや一部のマニアックな人に限定されていたのが現実です。

それでも僕は未来が拓いていく予感に震えました。これからは、「一億総表現者の時代」になる、と。

僕はすぐに当時勤めていたデザイン会社でマルチメディア部門を立ち上げ、ホームページ制作を請け負い始めました。企業内の起業です。で、当初からホームページなんてものは、更新しなくては意味がないという考えでした。

だから、僕はつねに日記用CGIプログラムを改造してクライアントに提供し、自社内で最新情報をアップしてくださいと提案してきました。行政や企業のサイトをいくつも手掛け、ECサイトもいくつかお手伝いしました。

プチ自慢(笑)。でも、自社更新を勧めて、メンテナンスを請負わないのは、ビジネスの継続性からみれば機会損失にもつながったんですけどね(爆)。

最新情報の自社更新システムの発展形が現在のPHPによるWordpressのようなブログシステムであり、このような進化は必然であったと思っています。

その頃、僕は一億総表現者というイメージで、さらに何か新しいサイトを構築しようと模索していました。その矢先に、それを明確に打ち出したサイトが出てきました。同じような直感が閃いたのですね。共時性シンクロニシティ。

それが「ほぼ日刊イトイ新聞」です。

「1998年6月6日午前0時(バリ島時間)、 ほぼ日刊イトイ新聞はスタートしました。 」

やられた!って、本気で思いました。誰もがWEB上で表現者の土俵に立てる。

かたや有名な糸井重里ですから、無名の僕ごときがライバル視するのはおこがましいのですが、このときはマジで悔しかった。

ライターとしては無名の素人が書くコンテンツにこそ、おもしろい表現があって、それらをプロの眼で選んでHP上に掲載する。

書く素人であっても雑誌のコラムの一面を担当できるような仕掛けが、HPだからこそ、ノーリスクで実現できる。

しかも当の糸井重里をはじめ、友人知人の著名人ネットワークを活用して無料で寄稿してもらうプロの記事もあり、マスへのアピール力もあるわけで、これはズルイ。成功するに決まってる、

似たようなアイデアを持ちながら、当時の僕が踏み切れなかったのは、まず収益のしくみが見えず、継続するだけの資金的な体力もなかったから。収益のしくみ、これがいちばんの課題。

その後、ほぼ日もいろいろ紆余曲折があって、現在のようなビジネスモデルを構築したようですが…サイト自体の基本は書き手としてのアマチュアを大切にしてプロがそれをサポートするという姿勢は一貫しているように思います。

ただ、現在のかたちはかなりプロの方が大勢を占めていて、当初のわけのわからぬ熱気は少なくなってはいますね。

ともあれ、最初から採算性や儲かることを意識していたら、初めの一歩は踏み出せないんです。

おもしろいかどうか、おもしろがれるかどうか、そこに基軸を置くことが、メディアの現場には何よりも大切なんじゃないかな、と反省を込めてあらためて思うのでありました。

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