うちの家系は、
父方が岩手県の遠野で母方が静岡県の富士宮で、
どちらにも霊媒体質の血が流れていた。
父方の母、僕からすると遠野のおばあちゃんは、かなり霊感が強かったと聞いている。
「昨晩、夢でどこそこの人が別れの挨拶にきた。亡くなってしまったんだ」ということを普通に口にする人だったそうだ。
これも一例。僕の父、おばあちゃんの息子は終戦になっても、なかなか戻ってこなかった。
親戚の誰もが「息子は遠くの異国で戦死したんだ」と哀しみ、諦めていたそうだ。
でも、おばあちゃんだけ「いや、ぜったい生きてる、戻ってくる」と頑なに言い張ったという。
そしてその言葉通り、それから約3年後、
シベリアに抑留され帰国が遅くなっていた息子が帰ってきた。
遠野という里にはそういう感覚を持つ人たちが普通に生活している。
現代社会からすると不思議な話が生活のなかに浸透している。
遠野物語は有名だけど、あれは、ほとんどが実話だと思う。
遠野に語り伝えられた昔話を200話以上も覚えていて、
子どもたちに毎晩話して聞かせてくれたのは、おばあちゃんの夫。
大地主だった男、僕からするとおじいちゃんだった。
おじいちゃんは物知りの人、おばあちゃんは実践の人。
こういう霊的な能力はどちらかというと女性のほうに強く出る傾向にある。
青森のイタコや沖縄のユタなんて人たちも、だいたいが女性。
でも、男性でもそういう霊能力を持っている人は少ないけれど、いる
僕は、霊能力者というほどではないけれど、少しだけ、霊感があった(過去形)。
こういう話をすると、社会的には人格を疑われるので、
これまで親しい人にしか話をしたことがないのだけれど、
もう、こんな年齢だし、そろそろ、話してもいいのではないか、と。
小学生まではてんかん体質で、ボゥ~としていて、
幽霊のようなものやUFOのようなものを何度も見ている。
小人の妖精のようなものも見えたことがある(信じなくていいです)。
生霊に襲われて金縛りにあったこともある(誰だかすぐにわかった)。
相手のこころにフォーカスしたら、それが手にとるようにわかり、
怖くなったこともあった。(「いまはKYなくせに」信じなくていいです)
いつも現実と異次元の狭間をふらふらしている感覚があった。
一年に一回はなぜか高熱にうなされ学校を数日間休んだ。
ただ年齢を重ねるとともに、ありがたいことに、その感覚はどんどん薄れていった。
ときおり強烈なデジャブーや虫の知らせも経験したが、
ある時期を境にして、そういう感覚も、すとんと無くなった。
20代半ば頃、結婚がきっかけか、それとも年齢的なタイミングか。
現実世界のほうにしっかりと軸足を移すことができた、と思った。
けれど、霊感が無くなったのは表面的な変化でしかなかった。
昼間は普通に生活していても、夜中になると、悪夢にうなされることが多くなった。
夜中にわぁ~と大声を上げ、隣の人(妻)に起こされても、夢の内容を覚えていない。
もちろん朝起きても、その夢の記憶がまったく残っていない。
冷たい寝汗と疲れだけ、残った(妻の心配と睡眠不足も)。
幼い頃からの異次元との交流は、
ただ夜の無意識下に押し込められただけで、
実は、ずっと続けられてきたのだろう。
この異次元の闇は、もう一度、昼の明るみに出たいのか。
押し込めてしまって、ごめんなさいね、という妙な心境がわく、
現実と異次元と、ふたつの世界を平等に生きたほうが良いのではないか。
最近、コロナ自粛の期間中、そんなことを思うようになった。
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