老後と隠居

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老後なんて、とっても遠いと思っていたのに、ふと、ちょっと前を見れば、もう、目の前に迫っている。ずっと、前を向いて走り続けてきたつもりだけど、走り続けているそのときには、いつも、すごく近い前しかなかった。わかりにくい表現だなぁ。つまり、目の前の蠅を追い払ってきただけ。大きな蠅や小さな蠅、ときには、蠅の大群を追いかけることもあったけど、いずれにしろ、右手左手をバタバタさせて、その場、その時を処理してきた。それが、僕に限らず、ほとんどの日本人の姿、働くお父さん像だと思う。

ひと昔前、いわゆる老後というイメージは、仕事をしないで年金暮らしで悠々自適。でも、いまの社会では、年金だけで悠々自適なんてちと難しいだろう。老後の不安を抱えながら生きる人が大半だ。老後にのんびりできないのは社会のせいだ、と。しかし、そもそも老後と隠居を結びつけること自体に、もはや無理があるように思う。

僕の中には、年齢を重ねても、ずっと、働き続けているイメージがある。やむを得ずではなく、あえて働くことを選択する。カタチは変化しても、それでも、なんらかの収入の手立てがあれば、それが幸福な生き様になるのではないか。

父親は、僕が就職した頃から、喘息で入退院を繰り返すようになった。妻の父は、仕事を引退してから、覇気がなくなり、やがて痴呆症になった。
これで老後、これでお役目終了、という烙印を押すのは、他ならぬ自分自身であるように思う。僕にとっての隠居は、棺桶に入ったとき、そのときまで言わずにおこう。

コメント

  1. enos より:

    老後っていう言葉が悪いよね。老いたらオシマイみたいな響き。
    老いても楽しめること、やれること、やるべきことはいくらでもある。
    僕の最年長の友人は今年で77歳。喜寿だ。
    彼の趣味はトライアスロン。毎回年代別クラスでメダルを取ってくる。
    年寄り扱いすると怒る。カラオケも大好き。女性も。
    今の僕の目標は彼です。

  2. KIKU より:

    コメントに気づくのが遅れた。すごい人がいるもんだね。老いを楽しめたら、達人だ。

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