もう20年以上前から、エコロジーには関心があった。
都会では光化学スモッグとか、環境汚染が進んでいて、
それは毎日暮らしていて、はっきりとわかる汚染だった。
僕は幼少期を東京の杉並区で過ごしたが、
昭和30年代当時は夜空を見上げると
天の川がくっきりと見えた。
環状八号線が出来て、クルマの量が増えて、
それから徐々に空気がおかしくなってきた。
人間も徐々に忙しくなり、おかしくなってきたように思う。
そろそろ地球が危ない、という危険信号を感じた。
あまり大きな声では今まで言えなかったが、
そのような環境汚染からの脱出も、
20年前に信州へ移住してきた理由のひとつだ。
息子の小児喘息は、移住してきた途端に治った。
エコロジーという言葉が、最近、メディアで頻繁に
露出するようになり、これは素直に嬉しい現象ではある。
一握りの活動家から、もっと庶民のレベルまで
エコロジーに対する関心が広がってきた証拠。
洞爺湖サミットの年でもあり、それも盛り上がりの一因。
ただ、いまエコロジーと叫んでいれば、
誰からも非難されないだろう、
という企業やメディア側の安易な意図も感じる。
僕はエコロジーに限らず、原理主義が嫌いなので、
ひとつの考え方を神聖視して殉教するつもりはない。
「わら一本の革命」という福岡正信さんの著書を
ずっと前に読んだことがあって、
それはすごい文明批判の書でもあった。
思想的には共鳴する部分も多いのだが、
実際に自分自身が文明を拒絶できるかどうか?
僕たちは日々文明の恩恵を受けているわけで、
文明をまったく拒絶した暮らしは実現が難しい。
どこで折り合いをつけるか、それが重要なんだと思う。
このテーマは大きいので、また折に触れて、書いてみたい。
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