酒井法子被告は、どう語れば良かったのか

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人が人へメッセージを伝えるためには、その人の背景や関係性をふくめて文脈というものがあって、同じ言葉を語っても、180度その伝わり方が変わります。文章のTPO、文章のトーン&マナーと言ってもいいですが、内容と同じくらい、ときにはそれ以上に重要な要素です。

酒井(高相)法子被告の謝罪会見は公判前ということで、一方的なメッセージになりました。それを見ていて、女優さんですし、このような場面では些細な失言も大変なことになりますから、原稿を用意して、推敲して、会見に臨むのは当然であろうと思います。それは責められることではないでしょう。問題はその内容です。

被告酒井法子は、わずか一ヶ月くらいで、清純なイメージが崩れ、ダーティなイメージができてしまいましたから、こういう文脈の中では、何を語っても残念ながら「ウソ」と「演技」に見られがちです。マイナス局面でどのような内容を語るか、どのように話すべきか。とても難しいところです。

謝罪会見の全文を読むと、謝罪の部分よりも、これからの事のほうに力点が置かれているように思います。「自分の弱さゆえに負け」と言ったときの、その弱さについては語られていません。期待を裏切ったファンのみなさまへのお詫び、「2度とこのような事件」は起こさないという決意表明ではなく、犯した罪に真摯に向き合って、罰を受けることの覚悟をみんなは聞きたかったのではないでしょうか。

公判前という制限があって、事件の内容に触れることができなかったのだとは思いますが、それでも、手を染めたとき、逃亡したとき、その心情の吐露を期待してテレビを見ていた人多かったと思います。そこが2度としませんという決意表明にすり替えられてしまったため、よけいに「ウソ」「演技」と受け取られてしまいました。この謝罪会見の内容は、公判前という段階には、ふさわしくありません。むしろ公判後のメッセージとして、ふさわしいものだったのではないでしょうか。

僕はタレント酒井法子に対して、特に強い好悪の感情を持っているわけではありません。今回の謝罪会見に関しては、テレビ画面を通して、メッセージをきちんと伝えることの難しさを感じて、まとまりなく、思いついたことを書いてみました。

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