江戸時代の戯作者、滝沢馬琴による長編伝奇小説。
僕がこの物語を知ったのは、1973年4月2日から1975年3月28日までNHK総合テレビで放送された人形劇。
もっと昔の番組かと思ったけど、ちょうど僕が高校生の頃です。
夕方の連続ドラマだったけど、けっこう観ていたような気がします。暇だったのですね。
内容のすばらしさはもとより、辻村ジュサブローの芸術的な人形たちと坂本九ちゃんの歌がとっても印象的な番組でした。
先日テレビで、ある映画監督が、当時この主題歌の歌詞に感動したということを話していました。
僕もうろ覚えに覚えているその歌詞は「ひとりぼっちじゃないんだ まだ知らないだけなんだ」という部分。
たしかに、出会っていないだけで、自分のことを理解してくれる人がきっとどこかにいるはずさ、という励ましの歌に聞こえます。
八犬伝は仲間を探す物語だから、そのままの意味なんですけど、センチメンタルなメロディに乗って、この歌詞と九ちゃんの切ない声がどかんと僕の胸にも響いてきました。
仁義礼智忠信孝悌というのは、八犬伝の物語を導く重要なキーワードです。
主要登場人物である八人の剣士たちがそれぞれ探し当てる玉に浮かび上がる文字。
儒教的なあるいは武士道的なシンボリックな呪文であり、登場人物の行動規範ともなっています。
この言葉、馬琴がいた江戸時代には、まさに生きていたのではなないでしょうか。
庶民の倫理観をあらわしていて、それは大正生まれの僕の親父世代にも、かろうじて生き残っていましたが、でも、もはや現代社会では、この言葉の魔力が薄くなってきているように思います。
「仁」は思いやり慈しみ、医は仁術と使ったりしました。
「義」は正義、義を重んじる政治とか。
「礼」を尽くす社会とか。
知識よりも「智」恵とか。
目上への「忠」節とか。
信は、信頼というより、「信(まこと)」の意味。
「考」は、孝行息子とか。
「悌」は、兄弟仲が良いという意味。
こうやって漢字で書かれた文字を見ると、少し時代錯誤で恥ずかしい。
ちょっと照れくさい言葉です。
それでも僕は、この辺の感覚がこれから見直されるのではないかと思っています。
懐古趣味ではなく、もっと切実なコンセプトとして求められているように思う。
競争から協働へ、そんな社会の動きとシンクロしそうな気がしています。
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