朝、テレビを見ていたら、岩手県南部と宮城県北部あたりを震源地にした地震のニュース。僕の父親は岩手県の遠野生まれで、いまでも本家を初め親戚はそこに暮らしている。伯母さんたちは遠野の昔語りをしている有名人だ。親戚縁者のいる東北の災害と聞いて、大丈夫か?と、じっと画面に見入った。災害のニュースのときの反応は、やはり、まず身内の安否が気になる。
どうやら南部のほうが被害が大きいようだ。遠野綾織の伯母さん、釜石の叔母さん、そちら方面の被害のニュースは伝わってこない。ほっと胸をなでおろす。さっそく電話をしてみたが、十勝沖地震のとき以来の大きさだったが、実質的な被害はなかった模様。
それでも、神戸のときもそうだったが時間の経過とともに、被害の状況が明るみになってきて、やはり被害者のことを思うと胸が苦しくなってくるのだ。政府の対応にいらだったり、救助活動の人を応援したり、ディスプレイの向こう側で起きている事件に対して、いますぐは何も行動できない自分がいる。神戸のときは、暫く経ってから励ましの手紙と食糧を友人のもとに送ったりしたが…。
いま、できることは、被害がなるべく、小さくなるように祈るだけ。自然の前では、人間は無力だ。その無力さを知ることから、人は謙虚になることを学ぶのだろう。
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