携帯電話が嫌いだった。
かつて在籍していた会社で、必要だからという理由で持たされたのだが、持っていても、どうも、なじまない。「なんだ、コイツ」という違和感がある。
もちろん「便利さ」は確かにある。公衆電話のない場所でも、すぐに、会社へ連絡がとれるのは便利だった。地方都市では、自動車が主要な移動手段になるため、たとえば、打合せ場所までの移動に半日かかったりすることもざらにある。そんなとき、自動車を停めて、会社にいる部下に電話して、思いついたことをあれこれ指示したりできるのは、仕事の効率アップが図れて良かった。
つまり、僕にとって、携帯電話の便利さは、公衆電話がない場所でも、簡単に、電話ができることだった。だから、当然ながら、電話をかける必要がないときは、堂々と電源を切っていたのだ。
ある日、会社の人に言われた。
「携帯に電話しても、ぜんぜん、つながらないんですけど…」
「えっ、使わないときは、電源、切ってるよ」
「それじゃ、携帯を持ってもらってる意味がないですよ」
そうだったのか!
携帯電話は、自分にとっての「便利」が第一ではなく、相手にとっての「都合」が第一であったのだ。それからは、しぶしぶながら、電源を入れるようにしたのだが、携帯電話のストラップと犬のつなぎ紐がダブって見えるようになった。
いまは、諦めの境地に達して、携帯電話の電源を切ることはあまりない。ただ打合せの最中は、出ない。クルマの移動中は、出ない。電源を切っていなければ、履歴が残っているので、こちらから電話ができる、ということも覚えた。アドレスブックへの登録も200人は超えている。携帯付属のカメラ機能も、ときどき使う。携帯サイトへも、ときどきアクセスする。携帯メールは、よく受信する。キーボードに比べて入力が面倒なので送信はあまり好きではない。
まぁ、総体的に見れば、中年の男として人並みには使っているのだと思う。
しかし、携帯電話が好きか、と聞かれたら、そうではない。パソコンにはけっこう強いほうなので、携帯電話にも習熟しているだろうとよく勘違いされるのだが、どうも、携帯電話の操作は苦手だ。どうも、僕とは相性が悪いようだ。
仕事柄、苦手とばかりも言ってられないので、無理やり、合わせようとするのだが、やはり、どこか、ぎこちない。10代20代の人たちが、携帯にきれいな装飾を施したり、ストラップをたくさんつけたり、機種変更をすぐにしたり、ふるい携帯を保存して感情移入したりしているのは、現象としては面白いが、理解はできない。
携帯電話は、これからのITの行方を握っている、とは思う。さて、どうやって、コイツらと折り合いをつけてやっていこうか、と考えるのであった。
コメント
私の携帯電話の使い方は主に音楽プレーヤー。次にカメラ。たまに着信があっても気が付かないか、出方がわからずあたふたしているうちに切れてしまいます。パケットは契約してないのでメールは無し。うるさい同級生には携帯を買ったことを隠してましたが,先日とうとうバレてしまいました。
バレたら、もう、おしまい(笑)。
そうそう、使わなくなった携帯をそのまま持っている人が多くなってるそうですよ。何に使うか、というと…いろいろな例があるのですが…子供におもちゃとして与えている。これは、すごい。カメラにしたり、日本語の勉強につかったり、確かに、電波がつかえなくても、多機能になった分、使える機能がありますからね。
なんとなく理解はできますけど。。。
それって数年前に流行った”デジタルディバイド”の再現、なんですよね~。
PCは使えるけど携帯使えない大人、と
携帯使えるけどPC使えない若者。
やはり深い溝があるのでしょうか。。。
Tommy_ioさん
見落としていました!
コメント、ありがとう。
こういう世代のズレに関する話題は、
いつの時代でもありますよね。
時代によって、モノが変わるだけ、でしょうね。