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ヒッピーという言葉がこれからのキーワードになる
By KIKU | 6 月 18, 2008
昨夜、「ずくなし」という長野市内のお店に出かけた。白い無垢の木がふんだんに使われ、壁にはエスニックな模様の布がかけられ、かかっている音楽はレゲエミュージック。店主はラスタカラーの帽子をかぶって、従業員の女の子もなんとなくラブ&ピースだ。
名詞をもらったら、「農業・環境・文化コミュニティ SlowCAFE ずくなし」と書いてある。オーガニックな食材を中心としたメニュー、お酒もちょっとほかではお目にかかれないものがあり、地ビールから始めて、日本酒をいろいろ試しに飲んでみた。連れ合いの男もけっこういける口で、あれよあれよという間に、日本酒をしこたま飲んでしまった。途中から、仲間の音楽プロデューサが加わって、久々にご機嫌な飲み会となった。
僕がいちばん驚いたのは、そのお店に来ている客層が20代中心であること。気負うことなく自然にエコロジーやオーガニックに関心を持って実践していること。
今から30年近く前、僕は東京の下北沢で遊んでいた時期があって、なじみのお店の名を「あしゅん」といった。インドに旅行して人生を狂わせた3人のオーナーによる共同経営で、週末はインド音楽のライブをやり、平日は興が乗れば朝方まで飲ませてくれた。お客は、哲学者や舞踏家、詩人、映画の助監督、舞台大工、翻訳家、脚本家、音楽家、プータローなどなど得体のしれない自由業が多く、いわゆるヒッピー文化の近くにいた人々だった。僕は、毎晩のように通って、あるときは焼酎をボトルで入れ、あるときはただ酒を飲み、一般社会から見れば胡散臭い変人たちと朝まで語り明かした。今、思えば、あれが僕の青春であった(遠い目)。
自然食とか有機野菜とかも出始めた頃で、お店ではそのような食材を当たり前に使っていた。でも、それはまだまだ市民権を得ていなくて、一部の 変わった人々による実験的な試みであったように思う。ヒッピーな思想は、自然に反することを極度に嫌う志向性を持っており、それは時としてヒステリックな教義になってしまうこ ともあった。それが僕には鬱陶しかった。自然に反することを嫌うこと自体が不自然だと、わけのわからん理屈をこねていた。
さてさて。そんな青春の一時期を過ごした僕が、この「ずくなし」に足を踏み入れた第一印象は、「なつかしい」という感覚だ。空気が似ているのだ。30年近く前の下北沢「あしゅん」に似通った雰囲気を持っている。そこにいる人間も違うし、音楽も違うし、レイアウトも違うのに、雰囲気が近い。店主は30代の半ば、お店で働く女の子たちは20代、お客も20代中心で、われらのような40~50代はほかにはいない。あれ、待てよ。これは僕が20代だった30年前と同じだ。
ずくなしのスタッフたちと少し話をしたら、彼らの志向性が昔のヒッピーたちと似ている部分もあり、また現代的な文化の中で自然発生的に湧き上がっている考え方なんだなと感心した。当人たちは自分たちのことを「ニューヒッピーです」と笑って自称していたが、僕はこの流れを「ライト・ヒッピー」と呼ぼうと心の中で思った。
哲学と思想とか、文化とか、そんな大上段なものではなく、もっと地面に足のついた肌感覚で「これがいい」と感じたことを軽くやっている。それが、素晴らしいと思う。日本の未来は、まだまだ捨てたもんじゃない。うれしくなってお酒をしこたま飲んだが、未来への視界はどんどん開けていくように感じたのであった。
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