「楽しい」仕事より、仕事を「楽しむ」発想へ

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 仕事とは、何か。どういう仕事が、その人にとってベストな選択か。インターネットカフェ難民やフリーターという社会現象、かたや公務員、終身雇用、安定志向 を望む求職学生の急増。大卒の新入社員の3割が3年以内に離職する現実、30歳代、働き盛りの自殺者の増大…など日本のビジネスを取り巻く人的状況は、こ こ数年、迷走している。その背景は、とても一言では語りきれないが、「楽しい」という価値観から考えてみたい。

例えば、仕事を選ぶときの基準として、その仕事が「楽しい」かどうか。美術系の学校を出てデザイナーになる。技術系の学校を出てエンジニアになる。じぶんの好きな趣味や志向性の延長として、それを仕事に生かしていく道がある。または、「お金がいちばん」という考え方。仕事とは、それによって収入を得ること。だから、報酬は高いほどいい。高ければ、仕事の楽しさは犠牲にできる。

実際は、このほかにも、さまざま要因が組合わさって、仕事を選ぶのだろう。または、選べない、選ばされる、ということもあるだろう。

いずれにしろ、じぶんが楽しいと思える職種、じぶんの好きなコトをそのまま職業にできるのは少数派だ。 ロックミュージシャンをめざしている青年が、ある日、真っ赤な髪を黒く染めて、生命保険の会社員になることもある。「楽しい」音楽は、横に置いといて、または封印して、サラリーマンになる。よくある話だ。生きている以上、いまの人生と何らかのカタチで折り合いをつけなければいけない。元ロックミュージシャン志望だって、ロックでは女房子供を養えないから、サラリーマンの道を選択したのかも知れない。どこかの時点で、こちらの道に幸せがあると判断したから、「いま」がある。「楽しさ」と「お金」のバランスをどうとっていくか…。

仕事に「楽しさ」だけを求めれば、甘いと言われたりする。辛いことを我慢して、その先の、辛さに見合う報酬を期待したりするのも人情だ。でも、一時的な仕事ならまだしも、一生の仕事としては、楽しくなければ、長続きはしないだろうな。

そんな思考の迷路に迷い込んでいるとき、ある本で、禅的発想を教えられた。

禅では、「楽しいことをする」のではなく、「することを楽しむ」と発想するのだそうだ。いま、やっていることが、先々いい結果になって帰ってくると考えて、 将来に果報を期待してはいけない。善因善果というけれど、もともと善悪の判断なんて、人間の決めたいい加減なものだから、そんなものを期待して「今」という時間を殺すな。「今」という時間から、果報もすべて得てしまえ。江戸時代の白穏禅師は、これを「因果一如」と言ったそうだ。

僕の勝手な解釈では、いま、目の前の仕事に、いい結果を期待するのは、それは「時間」を殺していることになる。その仕事の「いま」に対して、小さな楽しさが発見できれば、それを楽しむことに専念すべし。

例えば、郵便ポストまで、請求書入りの手紙を持っていく仕事があったとする。この請求書を投函することで来月の収入を期待してウキウキするのではなく、道すがらに出会うアジサイの美しさにワクワクと感動すべし。

ビジネスマンのメンタルケアという側面から、禅の考え方は、もっと研究されてもいいように思う。一冊の本との小さな出会いに感謝したい。

禅的生活

僕は「禅」についてまったくの初心者です。
本書は、わかりやすく、いろいろと示唆に富み、
知的な刺激をたくさん受けました。

コメント

  1. 「楽しい」仕事より、仕事を「楽しむ」発想へ…

     仕事とは、何か。どういう仕事が、その人にとってベストな選択か。インターネットカフェ難民やフリーターという社会現象、かたや公務員、終身雇用、安定志向を望む求職学生の (more…)

  2. まっぷ山 より:

    禅的生活…なるほど~~…。
     思えば…現実的な生活の中にも、心の柔軟性 や感受性を持って生活していれば…変な角は 丸くなり、それなりに、不服な境遇でも楽し む事が出来るかも…知れないね。
     そういえば私、無意識に…そう、してきた。

  3. KIKU より:

    いま、ではなく、過去や未来にとらわれて、、変な角が立ったり、そんなことがあると、ぼくは、まだまだ未熟だと思い知らされます。
    無意識に「することを楽しむ」とは、人生の達人ですね。

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