ネットの可能性に目覚めた日

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「NIFTY-Serve(ニフティー・サーブ)」というパソコン通信サービスが始まったのは1987年4月だ。僕は、その翌年に会員となった。当時は、東芝のRUPOというワープロを使って、1200bpsのモデムでアクセスした。3.5インチのフロッピーがすぐにフォーラム(会議室)のログで一杯になった。草の根ネットというのにもいくつか入っていて、いろいろな情報のやりとりをして、またチャットなるものにはまった時期もあった。一ヶ月の電話代が2万円を何度も越えてしまい、燃え尽き症候群になり、さすがに自粛するようになったが…。僕は、ネットの世界に興奮していたのだ。

パソコン通信によって広がるコミュニケーションに、すごく大きな可能性を感じた。東京にいて、決して知り合うことのなかった北海道や九州の人と、距離や時間を超えて友達になれる。アマチュア無線(ハム)も似たようなものだが、無線は同時性を前提としており、時間は超えられない。また、文章と会話というコミュニケーション手段の違いもある。文章を使うパソコン通信のほうが、より親密な関係を得られるような気がした。アマチュア無線の世界で、喧嘩をしているのは聞いたことがないが、パソコン通信上では喧嘩はいろいろなところで勃発していた。無線はヨソユキ、ネットはホンネ。当時はフォーラム(会議室)を管理するシスオペなるものが存在して、その管理人が喧嘩を成敗するのが常であった。性質の悪い奴は、フォーラムから追放された。

ネットの素晴らしさを端的に証明するものとして、フリーソフトの存在がある。日曜プログラマがいろいろなソフトを開発して、(当時の主流OSはMS-DOSであったが)それを自由にダウンロードできて、ユーザはその感想をフォーラムで述べる。そのリクエストに作者が応えて、ソフトがどんどん改良され、バージョンアップされていく。僕も、いくつかのフリーソフトを使わせてもらい、その感謝の意味もあってフォーラムに参加した。

このやりとりの根底にあるもの。それは、いいものをいっしょにつくろう、という思いだ。

「いいものをつくろう!」という思いが社会の方に向かえば、「いい社会をつくろう!」ということになる。地域と時間を超えて、人と人とが協同して、何か、コトに当たる。これは、ステキなことだ。小学校中学校と地域の同年代とかかわり、高校でやや広域の同年代とかかわり、さらに大学では日本全国の同年代とかかわり、社会に出てからは同職種とかかわり、それでも、限られた組織の中での交流関係に過ぎない。意外と一生の間で知り合う人数は限られている。

ネットは、その出会いの可能性を飛躍的に拡大した。奇跡のように拡大した。そして、それは人間の意識の拡大にもつながるように思えた。人がひとりで考えることはたかが知れている。ライアルワトソンの言う百匹目の猿、もしくは心理学者ユングの言う集合的無意識の顕在化…ネットは、この世界をいい方向に変える最強のツールとなるはずだ。そう確信した。

ネットに出会ったときの、そんな感動を、最近、僕は、忘れてしまっていたなぁ。なんだか、負の側面が強く出すぎていてね。でも、それで嫌気が差しているなら、それは負の力に負けているということだ。いやいや、ここで負けてはいけない。ネットに長く暮らしているのだから、その良さをもっともっと伝えていかなくてはね。いい方向に変えていくのは、いま書き連ねているまさに、この一行から…だ。

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