僕の父親が生まれたのは岩手県の遠野。
僕自身が生まれ育ったわけではないけれど、
なぜか遠野という土地が大好きで、
僕は魂のルーツだと思っている。
それで伯父さんや叔母さんたちに会うのを楽しみに、
僕は父が亡くなってからも何度か足を運んでいた。
前回訪れたのは2009年の夏、前々回は1997年の夏。
そろそろ、また行きたいな、と思っていた。
その矢先だった。昨年(2019年)、遠野から2通の喪中はがきが届いた。
1通目は、ヤヨ叔母さん。ご主人の隆三さんが8月25日に98歳で亡くなり、
まさしく後を追うように叔母さんは、9月12日に93歳で亡くなった。
人が羨む仲の良い夫婦だったが、ほんとうに最期まで仲良しだったんだな。
2通目は、ミヤ叔母さん。その翌月の10月に96歳で亡くなってしまった。
年に一度の年賀状のやりとりだけで
それでも10年ぶりに遠野を訪れるとみんな歓迎してくれた。
みんなお喋りが大好きだった。僕の父のことを話題にして賑やかにしてくれた。
みんな方言がキツイのでたまに聞き直すのだが、気持ちよく説明してくれる。
伯父さん伯母さん叔母さんたちの笑った顔が思い浮かぶ。
昔は、どこも大家族だったから、齢をとっても仲が良いのだろう。
いまの日本から失われてしまった、家族の暖かさ、赤い血を感じる。
周りが親戚で近いのは、いいことばかりじゃないだろうけれど…。
忘れた頃に訪れる僕たちは、親戚だけど客人だから佳い思い出しか残っていない。
ミヤ叔母さんの名前をネットで検索したら、
元気な姿で映っているこんな動画を発見した。
若い頃の叔母さんは、とにかく陽気で面倒見の良い姉御肌。
頭の回転が早かったが、年齢とともに老成して、この仕上がり。渋いね!
懐かしいな、遠野はいいな、とあらためて感じた夜。
お墓参りに、今年か来年、行きたいと思った。
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