愛っていう言葉に振り回されてはいないか。
好きだ嫌いだ、癒された、傷ついた、惚れたハレタ。
愛というものには、ふたつの種類がある。
アガペとエロスである、と西洋の哲人は説く。
でも、これはキリスト教を支配の道具にした為政者の方便のように聞こえる。
それ故、エロスがある時代までは危険思想になりえた。
ともあれ、一般人にとっては、
愛は、口に含むとクリームのように溶けて、甘い。
溶けてなくなり、いつまでも、つかめない。
だからこそ、あるのか、ないのか、と気になり、心が乱れる。
さて。ある昼下がり、突然に、閃いた。
愛というのを親切に置き換えたら‥
愛してると言われないと、安心できないのは
心が未成熟ではないのか。
言葉よりも、小さな行為に本質がある。
何を言われたかよりも、何をされたか。
親切は愛よりも強し、というのは、
実は、カートヴォネガットの作品からの引用だ。
20代の頃に読んだがその真意はわからなかった。
いま、この当たり前のことが実感としてわかる。
年齢を重ねるのもいいものだ、と思えた年の暮れ。
来年も、このブログを細々と続けますので、
数少ない読者のみなさん、ヨロシクね。
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