ひとつでも心配があると安心できない。
ひとつ安心があっても心配はつきない。
人間は心配したがっている生き物だ。
日常生活で、あれこれ心を配っているから、
その先のことに気を配っているから、
そういう器用なことをやろうとするから、
どうしたって心配から逃れられない。
安心立命なんて、凡人には無理だ。
それで、ときたま人間は、お祭りをしたり、
いろいろな儀式をやって、非日常を持ち込む。
日々の心配を包み込み、溶かしてくれる時間。
泣けない、怒れない、笑えない…
そんな日常から一瞬だけど解放してくれる。
何かを許された安心感と、同胞との不思議な一体感。
昔から、祭り、踊り、音楽は、心を解放する道具だった。
継続する緊張、心配を凌駕する、一瞬の弛緩。
僕らはいま、それほど強い道具を持っているだろうか。
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