広告批評の休刊に思うこと

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来年2009年の4月に「広告批評」が休刊するそうだ。創刊30周年記念号での休刊。マスメディアによる広告表現を追いかけてきたこの雑誌が、この転換の時代にひとつの区切りをつけたいと考えたようだ。

たかが広告なのに文化としての役割を果たすようになり、それはされど広告として批評の対象ともなりえた。広告を語ることが時代の文化を語ることになって、それは広告をつくる現場でも、そのような意識が強くあって、広告表現によって「時代を捉える」ことができるように思えた。

いちばんの事例は、百貨店の広告だろう。糸井重里さんの「おいしい生活」、仲畑貴志さんの「好きだから、あげる」、魚住勉さんの「ひとりより、ふたり」。それまでの、便利だから買う、機能性で選ぶ、という時代から、大きな転換があり、生活者は生活に対してプラスαの価値観を求めて消費行動を起こしていた。

僕は東京にいた頃は、マスメディア広告をやっていたけど、20年前から地方都市長野で広告制作をやるようになり、いわゆるマスというメディアの仕事が少なく、その感覚がなくなっていった。「広告批評」という雑誌も、こちらに移ってからはほとんど読まなくなった。

こちらでは、マスというよりも、もっと狭いマーケットの感性に訴えていく必要があった。話が少しずれそうなので戻そう。

「広告批評」の休刊は、マス広告の表現が強い影響力をもちえた時代はもう終わったのだ、という幕引きの意味では潔いと思う。ネット広告との共存とか、そういう方向に走ろうと思えばできるのに、あえてそれをしないのは、さすがである。

括弧抜きの広告批評はマスに限定しなければ、今だって、これからだって可能ではある。メディアが変わっても広告はやはりパワーを持つのだと、僕は思っている。ネットとの連携だけではなく、もっと、いろいろなコトとの連携がこれからの広告には求められており、その核に位置するものが「言葉」であることに変わりはないと確信している。

時代を捉えるマス広告ではなく、時代を捉える複合的な戦略がこれからはますます重要になってくる。その中心に必ず言葉がある。だから、コピーライターたちよ、同志よ、もっと頑張りましょう!

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