3時間という長い上映時間。村上春樹が原作者。
その2点だけが事前情報で、久しぶりに映画館に足を運んだ。
女子高生が好きな男の子の留守宅に空き巣に入って、訪れた証拠を少しだけ残していくという、不思議な話を語りだす女性。芝居の演出家である「家福」(西島秀俊)の妻「音」(霧島れいか)は脚本家。彼女はセックスのあとに想像力がわいて、そのような物語を夫に話すのだが、それを記憶していないという設定。だから夫は翌朝、その話を妻に語り直す。この関係性が、とっても不思議。そして、主人公の家福がある日、海外の演劇祭に招待されて成田空港へ出かける。しかしホテルで突然の延期が告げられて、自宅へ戻ってみると、静かにドアを開けると、妻が男と情事を繰り広げている最中だった。家福は、それほど衝撃を覚えたようではなく、静かにドアをしめて、ホテルへと踵をかえす。
夫婦には、病気で亡くした娘がいた。娘の死以来、セックス後のインスピレーションを得るようになったらしい。夫婦は、暗い虚無を抱えながらも、愛し合ってはいる。
音は、ワーニャ伯父さんというチェーホフの戯曲をカセットテープに録音して家福に渡す。ワーニャ叔父さんのセリフの部分だけが入っていない。家福は自動車のなかで、そのテープを流して、ワーニャのセリフの部分を自分でしゃべるのがルーティンになっている。
そんな彼女に突然、くも膜下というカタチで死が訪れる。
ここまでが前半。女子高生の空き巣の話。ワーニャ叔父さんの戯曲。夫婦の愛のありかたの話。後半から、女性ドライバーの物語が加わって、さらにドラマは複層的に展開するのだけれど、あらすじを追いかけるのは、やめにしよう。しかし、この不思議な映画の世界は、舞台設定を抜きにしては伝わらないように思った。
ここからは、僕の感想だ。
失ったものを取り戻すために、生きることを選ぼうとする。救いようがないと思える現実でも、そこに、しっかり向き合いなよ、と観るものの魂を応援してくれる。そんな映画。
赤いサーブという自動車、ルーフトップを開けてタバコの煙を逃がすシーン、橋、トンネル、船。ふれくされた表情の女性ドライバーの表情の変化、この三浦透子という女優が素晴らしい。色男を越えた危険性を感じさせる岡田将生の演技も良い。手話の役者を演じる韓国女性も存在自体に華がある。そしてそして…何よりも脚本が良い。いくつもの物語を奏でて、複雑でありながら、伏線を回収するストーリーテリングの手際が見事。役者たちの演技にも作為的なところがなく、ドラマのなかに、すんなりと入っていけた。これもあれも、すべて監督の手腕です。
まいったな。後半、感動して涙しました。単純な涙ではない。魂の深い部分に語りかけてきて、そこを揺さぶってくる。なぜ、感動しているんだろう。と言葉にできない感動を呼び起こす。
すっきりした善悪の物語ではないから、人間はややこしいから、でも、それをすべて赦していけるのか。赦せないと正直にいうことで、すべてが壊れてしまうから、その前で立ち止まってしまうのが我ら凡夫の生き方だ。でも、それで、いいのか! 答えは、ない。その問いかけを続けることでしか、明日へ向かう道が見えてこない。
日本映画で、こんなに素晴らしい作品に出会えたことに感謝。濱口竜介監督の感性が素敵だ。ほかの作品もみんな観たくなった。
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