01. 父からの贈りもの 1995


一枚の写真がある。

こどもがおもちゃのクルマを手にして笑っ

ている。セピアに色褪せたモノクロームの写

真。そこに、6歳ころの私がいる。

初めての贈りものは、このクリスマスプレ

ゼントだったように思う。いや、その前にも、

おそらくあったはずだが、記憶にも記録にも

残っていない。

サンタクロースであった父は、今から4年

前、満開の桜に見送られるように77歳で逝

った。父の人生は、平凡ではなかった。

大正時代に生まれ、シベリアで捕虜になり、

終戦3年後に帰国。共産主義に染まっている

「赤」だと周囲から言われ、安定した勤め先

が決まらなかった。それからボクシングの世

界へ飛び込み、選手を育てるトレーナーにな

り、チャンプを何人もつくった。この時代、

日本ボクシング界も高度成長期であった。

父の葬式には、かつての教え子たちが10

人ほど参列した。彼らは皆60歳を越えてい

た。若いころに身体を鍛えていたせいだろう。

父と似ている肉体の香りを一様に備えていた。

「先生の教えは正しかった」とある人が言う。

「そうですか……」と私は曖昧にうなずく。

息子である私は、ボクシングにまったく興

味を示さなかった。あんな野蛮なケンカもど

きをスポーツと呼べるか、と思った。野球、

サッカー、バスケットと球技に熱中して少年

時代を過ごした。

思春期は、父の意見に逆らった。父の生き

方に疑問を感じた。

「屁理屈を言うな。体験してからモノを言え」

そう怒鳴られ、固い拳に一度だけ殴られた。

理由はなかった。ただ逆らい反発することが、

私の存在証明になっていたのだと思う。

父の言葉は、不在通知のまま、私の心まで

は届かなかった。


親が子に伝えられるものとは、何だろう。

伝えられないものとは、何だろう。


父が亡くなった翌年、私の息子が小学校に

入った。そのとき、何かひとつスポーツをや

ってほしいと思った。すると、息子の口から

「柔道」という答えが返ってきた。私のきら

いだった格闘技である。しかし……やるから

には、途中でやめるなよ。逃げるなよ。6年

間は、やり通せ! 息子に向かって、そう言

い聞かせている私がいた。


38歳になった私の手元に、いま、ようや

く、父からの贈りものが届き始めたのかも知

れない。

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