07.政治と文学  1995


政治と文学が、引き裂かれているのだ。

東西の対立が一見氷解したかのように見え、

イデオロギーの欺瞞性が明るみに出されたい

ま、文学は虚空に放り出され、ベクトルを失

った凧のように落下しつづけている。

落下したその先には、感覚的な文章の戯れ

だけが横たわっている。

娯楽としての文学に存在価値があることは

認めよう。日々の生活のアクセントとして、

人々は知的好奇心の充足を求めているからだ。

風俗を描くこと、それ自体に文学的な価値

があることも認めよう。

だが、現代において、そのような役割は、

テレビなどのマスコミが多くを担っているの

ではないか。小説よりもルポルタージュ、ル

ポよりもドキュメンタリー番組、それよりも

毎晩のTVニュース。映画もしかり。文学が

娯楽にしか過ぎないなら、「読む」という行

為を強いる文学よりも、安易に時間をやり過

ごせるテレビのほうがいい。文学は、一部マ

ニアだけのものになってしまう危険性をはら

んでいるといえよう。

では、文学は必要がなくなるのか。私はそ

うは思わない。文学には文学にしかなしえな

い、重要な役割がある。

文学は娯楽としての側面以外に、人間の

魂を救済する役割が課せられている、と思う。

ドラスティックな宗教とは違う。この現実社

会の矛盾や諸相に向き合い、人々の深層意識

に深く浸透し、現実を変えていく力を文学は

持ち得るはずだ。

いかに私は、生きるべきか。

文学者は、自己救済を通して、それを普遍

化することに精力を注ぐべきであろう。だが、

果たして現代作家にこの根源的な問いかけが

なされているか、と考えると心許ない。

文学が衰えるにともなって、政治もまた衰

退の一途を辿っている。これは偶然ではない。

文学がこの現実に立ち向かうことの意義を

失い、無力さをさらけだしたとき、民意を反

映する政治もまた無力感に沈み、マスコミの

一角を占める娯楽に堕したのだ。

いかに我々は生きるべきか。

現代の政治家はこの意思表示を避けている

ように思える。直面する課題のみに焦点を当

てている。理想なきところに、仁も義もない

であろう。これは風俗だけを見て本質を見な

いのに等しく、本末転倒であるといわざるを

えない。


政治家も文学者も、マスコミに翻弄され、

じぶんを見失った哀れな道化者である。彼ら

に期待するのは、もう、そろそろやめにしよ

うじゃないか。

我々は、現代社会の迷宮の入口で、アリア

ドーネの糸を手繰り寄せるのだ。真摯な情熱

で「生きること」の意味を、自らの足もとか

ら見つめ直そうではないか。新しい時代の文

学も政治もすべてがここから始まると信じて

……。

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