08.新聞記者が許せない日 1995

 

赤穂浪士の討ち入りを、年末のテレビドラ

マでやるのは、かわいげがある。毎年12月

の中旬になると、ストーリーを変えずに(変

えたらヘン)、役者をあれこれ変えて、スタ

ッフの工夫のあとがうかがえる。ステレオタ

イプだからこそ、どうやって視聴者の心をつ

かむかが大変なんだろう。ここにはプロがい

ると思わせる。 うちの亡くなった親父は、

「ほう、今年は、吉良を○○がやるんだ」と

毎年、このドラマを楽しみにしていた。

ところが、である。年末になると天下の大

新聞がこぞって「ことしの重大ニュース」な

んて特集を組むのは、忠臣蔵と同じ年末の恒

例行事だから、と笑って許せないのである。

日々の新しいことを伝えてくれるはずの新

聞が、一年間の記事のリサイクルみたいなこ

とを堂々とやって、紙面を埋める。それでマ

スコミの責任を果たしているかのようにふん

ぞりかえっている。その姿勢が鼻持ちならな

い。権威にあぐらをかいての暴挙、としか思

えない。な~んも考えずにデスクの上で楽し

て書いて、いい給料もらって、な~にが新聞

記者だ……とっとっとっ、失礼、取り乱して

しまった。ともあれ、どうしても許せないの

である。年末の企画でも、マスコミとして他

にやるべきことがもっとあるんじゃないか、

と思うのだ。

例えば、「重大ニュースばかり前面に報道

してごめんなさい特集」。その日に報道しき

れなかったけれど、普通ならもっと大きく扱

っていただろうな、というニュースを集める

のである。大新聞は懺悔の気持ちで取り組ん

でいただきたい。

例えば、「あまり注目されなかったけど来

年の重大ニュースの布石となるであろう小ニ

ュース特集」。これは結構、難しいだろう。

未来予測をしなくてはいけないから。いまど

きの新聞記者の手にはあまるかも知れない。

そうなのだ、いまどきの新聞記者があまり

にもレベルが低いから、重大ニュースという

お粗末な企画を組まざるを得ないのだ。そう

考えれば、いまの新聞社に憐憫や同情こそあ

れ、いきり立つ必要はそれほどないのかも知

れない。

 

 

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