赤穂浪士の討ち入りを、年末のテレビドラ
マでやるのは、かわいげがある。毎年12月
の中旬になると、ストーリーを変えずに(変
えたらヘン)、役者をあれこれ変えて、スタ
ッフの工夫のあとがうかがえる。ステレオタ
イプだからこそ、どうやって視聴者の心をつ
かむかが大変なんだろう。ここにはプロがい
ると思わせる。 うちの亡くなった親父は、
「ほう、今年は、吉良を○○がやるんだ」と
毎年、このドラマを楽しみにしていた。
ところが、である。年末になると天下の大
新聞がこぞって「ことしの重大ニュース」な
んて特集を組むのは、忠臣蔵と同じ年末の恒
例行事だから、と笑って許せないのである。
日々の新しいことを伝えてくれるはずの新
聞が、一年間の記事のリサイクルみたいなこ
とを堂々とやって、紙面を埋める。それでマ
スコミの責任を果たしているかのようにふん
ぞりかえっている。その姿勢が鼻持ちならな
い。権威にあぐらをかいての暴挙、としか思
えない。な~んも考えずにデスクの上で楽し
て書いて、いい給料もらって、な~にが新聞
記者だ……とっとっとっ、失礼、取り乱して
しまった。ともあれ、どうしても許せないの
である。年末の企画でも、マスコミとして他
にやるべきことがもっとあるんじゃないか、
と思うのだ。
例えば、「重大ニュースばかり前面に報道
してごめんなさい特集」。その日に報道しき
れなかったけれど、普通ならもっと大きく扱
っていただろうな、というニュースを集める
のである。大新聞は懺悔の気持ちで取り組ん
でいただきたい。
例えば、「あまり注目されなかったけど来
年の重大ニュースの布石となるであろう小ニ
ュース特集」。これは結構、難しいだろう。
未来予測をしなくてはいけないから。いまど
きの新聞記者の手にはあまるかも知れない。
そうなのだ、いまどきの新聞記者があまり
にもレベルが低いから、重大ニュースという
お粗末な企画を組まざるを得ないのだ。そう
考えれば、いまの新聞社に憐憫や同情こそあ
れ、いきり立つ必要はそれほどないのかも知
れない。