09.若手消防団員   1995


その日は、朝6時からの有線放送がとくに

やかましく、しつこかった。

“国道406号は道路決壊のため、通行不

能です。県道戸隠線は、土砂崩落のため、通

行不能です。復旧の目処は立っていません。

西京地区では床上浸水発生、地域住民は指示

に従い、大至急、避難してください……”

寝ぼけ眼をこすりながら起きた。とんでも

ない出来事が起きているようだ。数日来、降

り止まない雨が、この村にもたらした災害は、

思ったより甚大らしい。

遠くで消防車のサイレンが鳴っている。

居間のカーテンを開ける。重く垂れ込めた

雲から、まだ小粒の雨が降り注いでいる。

“各地区の消防団員は、それぞれの詰め所

で待機、本部からの指示を待ってください”

腹をくくって、女房を起こす。朝ご飯を食

べて、カッパを着る。スコップを手にして、

消防団の詰め所に向かう。

仲間は、もうみんな集まっていた。

「ごくろうさんでごわす」と分団長。

「おっ、若手がやってきた。きょうは頑張っ

てくれよ」と年配の団員が声をかける。

この地区の消防団員は、総勢6人。50歳

定年制で最年長は49歳。最年少は35歳。

私は、その次に若い。若手ナンバー2だ。

「この地区の道路決壊は5ヶ所。地すべりは

3ヶ所。人家への被害は幸いなことにない。

それぞれの分団で、被害を最小限に食い止め

るようにとの指示だ。土嚢の袋は、用意して

ある。やるか」と分団長が号令をかけた。

小雨の降る中、これまでの人生で体験した

ことのない、過酷な肉体労働が始まった。

土嚢に砂を詰める。雨の水気を含んだ砂は

ずしりと重い。それを軽トラックの荷台まで

運ぶ。何回も、何十回も、詰める、運ぶ。軽

トラックを駆っていくと、見慣れた静かな小

川がドッドッドッとすさまじい叫びを上げ、

荒れ狂う激流となっている。

「ひでぇな……」誰かが横で呟いた。

さらに行くと、側溝の水が濁流であふれ、

道路が川になっている。これ以上前には進め

ない。我々はクルマを降りて、その側溝の端

に土嚢を積み上げる。土嚢で土手をつくり、

水の流れを変えてやるのだ。

そんな作業を半日も繰り返していると、私

の腰に鈍い痛みが走った。だが、ここで弱音

を吐くわけにはいかない。何しろ、私は頼り

にされている若手なのだ。


消防団の活躍はそれから3日間、続いた。


最後の夜、ささやかな慰労会が開かれた。

長老のはからいである。6人の消防団員は、

みんなへとへとになっていた。

「若い衆がよく頑張ってくれた」

にこやかに我々の労をねぎらってくれる長

老たち。だが、もし、この災害があと10年

後に襲ってきたら、と考えると、私の背筋に

ぞぞっと寒いものが走った。

消防団員の定年は50歳。その時、48歳

の私は若手ナンバー2……。

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