02. 雪国の政治家 1996


マイクロバスではなく、4WDのワゴン車

が遊説に使われる。ドライバー1人、私の女

房を含め、ウグイス嬢とはもう呼べない40

歳前後の主婦3人、立候補者とともにその車

にわらわらと乗り込む。

昨年のことだ。村議会議員の選挙が行われ

た。議席数10のところ14名が出馬した。

うちの地区からも1人、出ることになった。

ワクダ候補は森林組合を退職したばかりのオ

ッチャンである。地区にいるほとんど全員が、

なかば強制的に後援会組織に組み込まれる。

村民は選挙がある度に、誰かの後援会に必

ず所属する。しがらみの強さによっては、親

戚といえども違う候補を応援することになる。

日頃の心づかい、いざという時のお世話、融

通、義理、人情が一票の差になる。

選挙戦が終わってみると、町の病院で寝た

きりの老母を村の投票所まで運ぶものもでて、

最終的な投票率は95%を越えた。

道の除雪対応など地区の発展のために立ち上

がったワクダ候補も、念願の当選を果たすこと

ができた。


東京生まれの私には、当初、この参加意識、

この熱狂は信じがたく、違和感を覚えた。

今までは政治家に対して、つねに冷静な傍

観者でいられた。ロッキード事件のときも、

田中角栄の出身地、雪深い新潟県十日町の

反応を冷ややかに見ていた。

道路をつくり、線路をひっぱり、橋をわた

した角栄さんは、その巨悪が暴かれても、支

持者からの絶大な信頼が揺るがない。地元民

がテレビのインタビューに応えている様子を

見て、あきれると同時に憤りが込み上げてき

た。このような地元への利権誘導で当選する

政治家がいる限り、日本の政治は良くならな

い。政治家はもちろん、そんな候補者を選ぶ

民衆も腐っている、と私は思った。そのとき、

マスコミを見た都会人は、みんな同じような

見解を抱いたのではなかろうか。私たちは、

その賄賂だけではなく角栄自身を「正義」と

いう名のもとに糾弾した。


季節はめぐり、長かったロッキード裁判が

終わり、選挙後、初めての冬が訪れた。

わが村の冬も、雪深く、暗く、長い。

だが、今年の冬はいつもと違った。昨年ま

で除雪作業が立ち遅れていたこの地区に、早

朝から除雪車が出動し、目に見えて迅速な対

応がなされるようになったのだ。

議員さんが一人、出ただけで変わった。


雪国の民には、そこに暮らすものにしか理

解できない、ほとんど祈りに似た願いがある。

民主主義は、民衆の意見を反映するべきも

の。ならば、田中角栄は、政治家として正し

かったのではないか。地元だけではない。高

度成長の進軍ラッパに踊り、生活レベルの向

上を喜んで享受したのは誰か。


田中角栄に対して、私の心に渦巻いていた

憤りと正義感の意味が徐々に溶けていった。

春まで、あともう少し。

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