野性を失っていないか?

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最近、思っていること。世の中の人間から、どんどん根源的な力が失われているような気がする。野性と言い換えてもいい。なにか危機に直面したとき、反応が鈍くなっているような気がする。アタマで考えるというプロセスを経てから結論を出そうとすると遅くなるのは当たり前だろう。考えるよりも先に感じて行動を起こせるかどうか。感じるためには、ぶれない心がなければならない。ぶれない心は、人間の根っこの部分にある。だれにでも根っこはあるのだけど、その根っこに怠惰というコケが生え、シガラミというきのこが寄生し、また情報という枯葉がたくさん覆いかぶさり、そうしたあれやこれやに隠されて、根っこが見えなくなっている。

思うのではなく、感じること。そしてその感じたことに素直に反応すること。

野性が失われたのは、情報があふれすぎたことのひとつの弊害でもある。ここに危機感を覚えた人は、すでに、なんらかのアクションを起こしている。ちょっと前、アウトドアのレジャーがブームになったが、これもそういうアクションのひとつだと思っている。ただ、最近は廃れてしまいましたね。そういう危機感さえ感じる人が少なくなっているのかも知れない。

僕の場合、釣りから環境への関心が深まり、さらに農業へと関心が向かった。お米づくりだ。来年は、事情があって休むことになるのだが、この5年間、自前のお米を玄米にしたりして、スーパーでお米を買わずにすんだ。

農業を職業とすることはできないが、そういう感覚でもって、家庭菜園や農業体験をしようとする人は増えていると思う。これも野性を取り戻すためのアクションのひとつだろう。

むかし、寺山修司が「書を捨てよ町へ出よう」という本を出して、本のタイトルだけが一人歩きして時代の雰囲気を象徴した。いま、だれもが知識の多さを自慢して、その反動としておバカがもてはやされている。野性を持ったおバカはすてきだ。野性を失っていることに気づいてる視聴者から支持されているのだろう。今なら「PCを捨てよおバカになろう」といったところか。

こういうことをブログで書いている、という本質的な自己矛盾はありますけれど、まぁ、大目に見てください。

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