プチ自慢をする。
ほんとうにマニアックな人しか知らないとは思うが、遠野の昔話の語り部として有名だった鈴木サツさんは、僕の父親の姉、つまり、伯母さんにあたる人である。
200話以上の話を暗記していて、正確に話すことができた。
僕が高校生の頃、岩手へ遊びにいったときは、まだ伯母さんも若くて美容師で、そんな昔話ができるなんて、思いも寄らなかった。
60歳を過ぎた頃から、幼い頃に聞いた話を思い出して語りを始めたというから、それはすごい記憶力だ。
ふつうは、モノ忘れが始まる歳だからね。
1999年、鈴木サツ伯母さんが86歳で永眠したそのときの葬儀は県民葬であった。
遠野の、昔話による観光振興に大きな貢献をしたからだ。
いまも元気に語りをやっている正部家ミヤさんは、鈴木サツさんの妹、僕の父の妹にあたり、つまり、叔母さんである。
サツ伯母さんが昔話でいろいろ各地で講演をするようになり、忙しくなると、妹であるミヤさんに援軍を頼んだのだ。
さらにその妹である菊池ヤヨさん、亡くなった伯父さんの娘である菊池栄子さん、つまり僕のいとこも語りをするようになった。
遠野で昔話と言えば、菊池一族はちょっぴり有名なのだ。
僕の父は次男坊で東京に出てきたから、ふるさと遠野の親戚とは、ちょっと疎遠にはなっていた。
それでも父は、ふるさとの兄弟姉妹を愛していて、息子の僕はいつも自慢話を聞かされた。
僕は高校時代に、自分のルーツに興味を持ち、ひとりで遠野へ出かけた。
東京から、ひとりで遊びに来た甥っ子を大工の棟梁だった伯父や美容師の伯母たちは快く迎えてくれた。
その当時、昔話を子供たちに伝えた祖父も生きていた。
が、その言葉はまったく僕には理解不能であった。
伯父さん伯母さんが翻訳してくれなければ、まったく意味がわからない。
同じ日本なのに、こんなにも通じないとは、とカルチャーショックを覚えた。
鈴木サツさんの昔話も、だから、現代語にやや近いのだと思う。
方言はキツイけれど、でも、理解はできるから。あのお祖父さんが語った昔話なら、ぜったいに理解不能だ。
あぁ、遠野の長閑な山郷の風景が脳裏に浮かんできた。
また遠野へ、遊びに行きたいなぁ~。
コメント
いつもかげながら拝見させていただいております。
それは、可能ではないでしょうか?
ぼくはいつも頭で考えられることは可能だ。と思っています。実行する気力、体力、勇気、時の運。条件はいろいろありそうですが、可能に一票投じたいと思います。
それにしてもおもしろいです。菊池さんのような、他の人が考えもつかないようなことを実現させてしまうような人が、考えられることを可能かどうか‥な〜んて思うなんて。
遠野の語り部に間違えてコメントが書き込まれてしまったみたいです。
いつもかげながら拝見させていただいております。
それは、可能ではないでしょうか?
ぼくはいつも頭で考えられることは可能だ。と思っています。実行する気力、体力、勇気、時の運。条件はいろいろありそうですが、可能に一票投じたいと思います。
それにしてもおもしろいです。菊池さんのような、他の人が考えもつかないようなことを実現させてしまうような人が、考えられることを可能かどうか‥な〜んて思うなんて。
>ムコウガワさん
コメント、ありがとう。
僕の文章に勢いがなく、ちょっと最近、弱気になっています(笑)。
それにしても、コメントの書込みがうまく機能していないようですね。こちらのシステムの問題です。ちょっと、調べて修正しなければいけません。ご迷惑をおかけしてすいません。
鈴木サツ 懐かしくなり、検索しました。
もしかしたら、遠い親戚になるのかもしれませんね。
え、そうなんですか? どなたでしょう?
僕は鈴木サツさんの弟の息子。
つまり鈴木サツさんの甥にあたります。