個人の思い出は歴史と重なって、
時としてカナシイ記憶につらなります。
でも詩人は個的な体験を軽々と越えてしまい、
普遍性を帯びる魔法をかけてくれます。
いい詩というのは、そういうもの。
茨木のり子さんは、とてもやさしい言葉で、
戦争の体験をひとつの作品にしました。
激しい糾弾があって、諦めがあって、
それでも諦めない希望があります。
あまりにも有名な詩ですが、
なんか、いまの時代に、
しっくりくるものを感じます。
以下に引用させてください。
そして、
ワサブローさんの歌も掲載します。
すばらしく、すてきな歌い手です。
わたしが一番きれいだったとき
茨木 のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていったわたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光ったわたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いたわたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼったわたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかっただから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
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