上 達 【rough story 68】

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習い事には、必ず、上達する瞬間がある。
特に顕著なのは、からだを動かす系の習い事。
野球でもサッカーでもバスケットでもゴルフでも、
最初は、見よう見まねでがむしゃらに動いていて、
ある日、先輩や友人から、ちょっとしたアドバイス。
バットを振るときの腰の動かし方とか、
ほんのちょっとしたひと言で見違えるように上達する。
これ、独学だと、なかなか、その瞬間が訪れない。
壁にぶち当たっても、それを超えられない。

あたまを動かす系の習い事の場合は、
たとえば、俳句とか将棋とか、どうなのだろう。
これも、やはり、師匠や第三者の眼が、
上達するための条件であるような気がする。
いずれにしろ、他人のひと言を素直に聞けるかどうか。
そこが上達の早い人と遅い人の分かれ道になる。

もうひとつ、満たすべき条件がある。
それは、練習量だ。一定の量を超えたとき、
その量は質へと化学反応を起こすだろう。
なーんだ、上達に近道はないということか。
もちろん! 量をこなすと、やがて肩の力が抜ける。
量が少ないと、その抜き方が、わからない。
第三者に指摘されても、抜き方を感覚できない。
だから、素直にもなれないという悪循環。

上達しようと思ったら、上達したい分の時間を
そのコトにしっかりと捧げることだ。
そうすると、第三者の意見が聞けるようになる。
からだで体感できるようになればシメタものだ。
ま、言うのは簡単だけど、実際は、ね。
それでも上達へのバイパスを、
あっちこっちにたくさんつくりたいな、と。

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