両手ですくい取った土を、そのまま挟むように手を閉じる。
手のひらを交互に摺るように揺すると、細かくなった土がこぼれる。
この土はたしかに、手のなかの感触とともに存在している。
タネを植えれば、作物が育ち、雨が滋養を与え、収穫のときがくる。
日照りが続けば、どこかから水を引く算段を考えなければならない。
それでも、天の采配には逆らえず、どこかで心の決着をつけるのだ。
あしたは、人間が思い描いてるようなあしたであるとは限らない。
天の采配は、人間の倫理を超えて、容赦なく、下されるもの。
すべてはうたかたであると知れ、そう賢者は語るだろう。
しかし、愚者は、それでも、なお、あしたを信じるのだ。
信じることで、己の存在をつかもうとするだろう。
悲しいかな、野に咲く花には、なれない。
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