釣り人たちは、誰にも教えたくない、じぶんだけの秘密の川を持っている。
夕暮れ時、蚊の仲間が川面をめがけて一斉に孵化するそのとき、
鱒たちにとって、とびきり贅沢なディナータイムが訪れる。
腹を空かせた鱒は孵化中の餌を咥えると、すぐさま身を翻し、尾でグッバイを告げる。
この小さな川のどこに、こんな数の魚たちが隠れていたのか。
今まで穏やかだった水面が、幾多の鱒の熱狂的なダンスで沸騰する。
釣り人は、高鳴る心臓を鎮め、じぶんでこさえた疑似餌を、そっとリリースする。
さぁ、こっちを振り向いてくれ。疑似餌の行方を凝視しながら、念を集中する。
すると、ふわり、水面が盛り上がる。アタックしてくる。糸がピンと張られる。
下へ潜る、横へ走る。翻弄されるのが、ぞくぞくするほど楽しい。
竿でいなしながら、糸をたぐり、間合いを詰める。
糸を、そして竿を通して、相手の生命の感触が手のひらに伝わってくる。
まだ魚体を目にしていないのに、その鮮やかなイメージが脳裏に固着する。
誰にも見られない秘密の川辺。数を競うのではない。釣果なんて、どうでも、いい。
渓流の釣り人は、自然との対話をひとり楽しむのだ、と紳士を気取るだろう。
だが、釣り人よ、自覚しようではないか。ジェントルマンほどスケベな人種はいない。
これは、古今東西の真理。恥ずかしいほどの歓喜を覚えたら、それは罪のあかしなのだ。
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