かつて若者は、みな自由を求めて、戦った。
あるときは、政治の仕組み、階級のしがらみ、
そして、因習の桎梏から自由になるため、戦った。
マグマのように抑圧された怒りのエネルギーが、
自由な世界を求めて、勢いよく噴火した。
そう、自由という言葉は、革命と一対になり、
ちょっと前まで、アナーキーな表現だった。
いまは、どうであろうか。
自由な時間、自由な環境、自由な関係…
棚に陳列された、いくつもの自由から、
ぼくは、お気に入りのひとつを手にする。
それは、消耗品として、使い捨てられるだけ。
ぼくらは、失ったことに気づけるのだろうか。
いそがなければ、いそがなければ、
気づいた人から、取り返しにいかなければ。
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