小さなマス・メディアについて考えた

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広告業界に身を置く者として、新聞やテレビ、雑誌など歴史あるメディアの近未来は、当然ながら、大きな関心事である。このブログにも、過去に何本かメディアに関する記事を書いてきた。しかし、時代の流れはかなり加速してきているようだ。

いわゆるマス・メディアとそれを支える広告収入モデルが崩壊しつつあり、その原因をつくってきたのがネット・メディアであることはもはや周知のところ。アメリカの新聞社が倒産している現状に対しても、危機感を募らせている日本の新聞社は多いことだろう。インターネットという環境を我々が手にしてしまった以上、この現実に対して、どのように立ち向かうか、旧来メディアにとっては死活問題だ。

広告現場からインターネットの黎明期に関わってきた自分には、ある予感があった。それは「小さなマス・メディア」という矛盾のある言葉に集約される。まず組織でなければ持てなかった情報発信のシステムを個人が持てるようになる。ネット上に有象無象の情報が氾濫するようになり、その中から、価値のある情報を探し出すために、検索エンジンを利用するようになる。ただ、検索ロボットは、日々進化しているものの、情報のクオリティまで保証するものではない。これからはクオリティをジャッジする時代になるだろう。すでにいくつかの試みがなされてはいるが、必要な情報を必要なレベルで探せるようにはなっていない。

さらにネットが「小さなマス・メディア」として成熟するためには、クオリティを生み出す人材育成のシステムがバックボーンに必要となるだろう。たとえば、旧来メディアでは入社した新人は先輩のOJTによってビシバシしごかれ、鍛えられ、メディアリテラシーを身につけてから初めて情報発信の現場に立つ。このような訓練、人材育成のシステムが、コンテンツの信頼性をも育んできた。お金と時間のかかる人材育成を、今まではメディア企業にまかせてきたとも言えるだろう。

ネット上では、著名なコメンテーターも無名のブロガーも同列であり、そのジャッジメントをユーザが直接下すことになる。つまり、人材育成の役割をユーザが担うことになる。ユーザが発見し、ユーザが育て、やがてそれは「小さなマス・メディア」となる。ここでの主体は、もちろん組織ではなく、発信者も育成者も個人である。このような個人のつながりは、いわゆる「組織」ではない。選挙における無党派層のようなものだ。無党派層が、時代を動かしていく様は、今回の衆議院選挙を例に挙げるまでもない。ネットにおいては、このようなもやもやした声が「メディア」を形成していく原動力だ。

「小さなマス・メディア」がたくさん生まれ、たくさん消えていく。ここには、すでに「マス」は存在していない。しかし「小さな」つながりは存在していて、これをピックアップできるかどうか。この辺に、新しい可能性を感じる。ソーシャルブックマーク、はてな、ニコニコ動画の試みなんかは、そういう意味で評価されているのだろう。

「小さなマス・メディア」に載せるコンテンツの作り手は、原則、アマチュアである。従来メディアのコンテンツ制作は、あくまでもプロである。そんな中で「小さなマス・メディア」のコンテンツ制作の現場で、コンテンツ課金を導入しようという試みも行われつつある。

従来メディアは、まだまだ影響力が絶大にあって、その力は「小さなマス・メディア」のように分散されていない。特にテレビは、お子様からご老人まで受け身で情報が得られるのだから、これはスゴイことだ。このパワーを小さな支流に流しながら、また逆流させるような仕掛けが求められているのだと思うが、なかなか、どこも苦戦しているようだ。

8月7日のニュースをメディア関係者は注目したことだろう。アメリカのメディア王ことルパート・マードック氏が、傘下の新聞社が展開するニュースサイトの有料化を決めたのだ。
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小さなマス・メディアの支持者が、この試みをどう評価するか。日本のメディアがどう反応するか。興味をもって見守りたい。

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